鬼あし講談:正岡子規と樋口一葉が初心な出逢い
(2010年12月)

2010年12月28日 (火) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸坑亜\飢子規@まさ可笑しき
 そう、銀杏の木は神様の木、なんたって、火事の時に、防火壁になる、ってんだ。だから、あたしゃ、樋口一葉って名前に、火事になっても、火口の周りに銀杏の並木があって、これ以上、周りに延焼しない、そんな功徳のある、小説家になってもらいたい、って思いを込めたのさ。その結果は、ご存知のように、五千円札の肖像になる明治を代表する女流作家に、おなりになったんだ。

2010年12月23日 (木) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽后ゝ簡…盂С據鬼あし一門会
 でもな、同じモノ書きなんだが、一葉さんは小説、子規さんは俳句に評論と分野は違うけど、大きな功績を残して、おまけに、一葉さんは五千円札の肖像にもなったな。まあ、それもこれも、子規さんが名付けた樋口一葉ってぇ芸名が的を得てた、んだ。火口に銀杏、両方ともに江戸名物の火事にご縁がある、何てたって、銀杏は江戸じゃ、神の木だもの。

2010年12月21日 (火) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽検“口一葉@火口イチョウ
 偉いって、云うより、あたしは小説しか、稼ぐ術がなかったの。そりゃぁ、家がお金持ちなら、中島歌子先生の後釜に座る、って事もできたけど、貧乏人の長女、戸主なんだもの、今日明日、一家三人が喰えるように、しなきゃならない、所が、妹のように、洗濯や裁縫と云った家事仕事がまるで、苦手だし、結局はモノ書きになるしか、仕方が無かった。

2010年12月20日 (月) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽掘\飢子規@まさ可笑しき
 まあ、鬼あしのご隠居にバレっちゃったけど、あたしは、小説家に憧れて、それなりに、挑戦したんだけど、書き上げた小説を友人に見せると、ボロクソに貶されて、やれ、男女の機微がないとか何とか、悩んでね、一時は上野の不忍池の出会い茶屋の庭先の離れに下宿を移して、男女の情交の場面を覗き見とかしたさ、でも、駄目、あたしは小説家になれなかった。その小説家になっちゃうんだもの、一葉さんは、やっぱり偉いよ。

2010年12月19日 (日) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽供ゝ簡…盂С據鬼あし一門会
 そうだろうな、この鬼あしのご隠居はね、新しい一葉さんのイメージとして、アスリーターの一葉、スポーツレディの一葉、茶目っ気の一葉、を感じるんだ。そのイメージと子規さんの、まさ可笑しき、お笑い系を掛け合わせると、樋口一葉と云う、ペンネームが、お笑い芸人の芸名じゃないか、って感じたんだ。それで、樋口一葉=火口銀杏 by 正岡子規、が浮かんだのさ。

2010年12月18日 (土) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽機“口一葉@火口イチョウ
 そうね、あたしの父親も忠臣蔵が好きだったわ。よく、忠臣蔵外伝の講談がある、とか云っちゃぁ、近所の寄席に行って、楽しんでたわよ。あたしも、たまに連れて行かれて、何にも分らない子供心に、ああ、この噺は、こんなにも、大勢の人を喜ばせるんだ!って、興奮してた。それで、家に帰ると、片言で、講談師の物まねなんか、してさ、結構、茶目っ気があったのよ。

2010年12月17日 (金) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽粥\飢子規@まさ可笑しき
 まあ、あの頃の忠臣蔵、赤穂義士伝、って云えば、物心付いた子供の頃から、繰り返し繰り返し、芝居に講談や浪曲、それに近所の隠居様から、聞かされた噺で、忠臣蔵本伝、銘々伝に外伝、と幅の広い内容さ。その中でも、外伝の大高源五・両国橋の出会い、あたしゃ、好きだったねぇ。まあ、大高源五に倣って俳句を詠む、ようになったもんさ。

2010年12月16日 (木) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽魁ゝ簡…盂С據鬼あし一門会
 そうさ、まさ可笑しき人だったから、後に、俳句中興の祖と、云われるようになったんだが、当の本人は、上京し、俳句を始めた頃、誰でもそうだが、深川の芭蕉庵を訪ねる訳さ。でもって、近くの永代橋の袂に来ると、大高源五の句碑もあるし、本所松坂町の吉良邸跡もある、ってんで、忠臣蔵は赤穂義士伝の世界に浸る、って按配さ。

2010年12月15日 (水) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽押“口一葉@火口イチョウ
 あたしも、忠臣蔵は赤穂義士伝の「大高源五・両国橋の出会い」の一席は、よくよく存じていたけれど、その源五さんの俳号が子葉で、おまけに、子葉の葉っぱが、あたしの芸名の一葉になるなんてのは、お釈迦様でも、気が付くまいに、まあ、子規さんて、お人は、ほんに、まさ可笑しき、人だわねぇ。

2010年12月14日 (火) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽院\飢子規@まさ可笑しき
 まあ、鬼あしのご隠居がズバリと、あたしの俳号、子規を名乗った裏話を突き止めて、まあ、今まで、あたしをさんざん研究した多数の人が、まったく気付かなかった、子規の名乗りのオリジナルを言い当てて頂けて、あたしゃ、嬉しいねぇ。普通は、子規=ホトトギス、それ以上、あたしの俳号に突っ込む人はいなかった、でもさ、それだけじゃなかったのさ。

2010年12月13日 (月) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸牽亜ゝ簡…盂С據鬼あし一門会
 そうなんだ、子規さんは、俳句詠みになる、って決めてから、昔の俳人の句を読み、棲んでいた所を訪ねた、芭蕉や其角らの他に、講談で有名な忠臣蔵の大高源五の句も好きでねえ、事に、源五の俳号、子葉には愛着を感じてたんだ。まあ、そんなこんなで、子葉を二つに割って、子が子規に、葉が一葉さんに、なったって訳さ。

2010年12月12日 (日) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓后“口一葉@火口イチョウ
 で、迷った挙句が、頃は元禄十四年十二月十四日、赤穂義士伝は吉良邸討ち入りの巻、だったのよ。俳人としても有名な大高源五が、討ち入り前日の十三日に両国橋で、俳句の師匠だった榎本其角と鉢合わせ、其角が「年の瀬や 水の流れと 人の身は」と詠むと、「あした待たるる この宝船」と返す。その源五の俳号が、子葉、だったのさ。

2010年12月11日 (土) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓検\飢子規@まさ可笑しき
 そうなんだ、あの秋山真之が、あたしの顔をまじまじと見て、マサオカシキって云った時、「ああ、これは芸名になるな!」って閃いた。それからさ、まさか、正岡シキって名前じゃ、箔が付かないので、どの漢字でシキを表すか?って考えると、噺は早いよ、あたしの本名は常規だから、正岡シ規となって、シは志、史、士、思・・、こいつらは、意味が硬いよな、ってんで、何が良いか、迷ったね。

2010年12月10日 (金) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓掘ゝ簡…盂С據鬼あし一門会
 止しねえ、一葉さん、年寄をからかうのは、でもさ、貴女の周りにもいただろうよ、まさ可笑しき、連中がたくさん。そうさ、江戸っ子ってのは、大半が、まさ可笑しき人間の集まりさ。でもって、この子規さんは、松山じゃ、馬鹿にされてた、まさ可笑しき人間だったけど、江戸に来ると、拠ると触ると、周りは、まさ可笑しき人間だらけ、ってんで、自分の芸名にしちゃった。

2010年12月9日 (木) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓供“口一葉@火口イチョウ
 ああ、あの秋山真之さんね、今、NHKの大河ドラマ“坂の上の雲”で、本木君が演じてるけど、素敵よねぇ、もう、一目見ただけで、メロメロになっちゃう。特に、あたしが、グっと来るのが、熱い胸板とキュンっと上がった臀部、男の色気よねぇ。まあ、鬼あしのご隠居も、その歳の割には、胸板も厚いし、お尻も上がってるけど、色気には、ほど遠いよねぇ。

2010年12月8日 (水) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓機\飢子規@まさ可笑しき
 はは!そうなのさ、鬼あしのご隠居がコロンブスの卵を生んだのさ。いえね、あたしの子規ってぇ俳号は、世間じゃ子規=ほととぎす、って事で通ってるが、まあ、名付けの親は、あの秋山真之さ、坂の上の雲でも有名になった神田猿楽町の下宿屋で、二人で相部屋生活、あたしが素っ頓狂な事を云っちゃぁ、真さんを笑わせていたら、ある日、突然、マサオカシキって、云い始めたんだ。

2010年12月7日 (火) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓粥ゝ簡…盂С據鬼あし一門会
 まあ、子規さん、ってのは、NHKのテレビ、「坂の上の雲」でも云っていたように、大した洒落上手なんだ、第一、その正岡子規って、まあ云ってみれば、ペンネーム自体が洒落なのさ。まあ、世間じゃ、子規はホトトギスの事、真っ赤な口で、血を吐くように鳴く、から、って通っているが、どっこい、この鬼あしのご隠居の目は、騙せない、別の意味、こっちの方が子規さんは気に入ってるんだが、「まさ 可笑しき」さ。

2010年12月6日 (月) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓魁“口一葉@火口イチョウ
 あたしも、樋口奈津って名前は、堅苦しいし、暑苦しい名前だなあ、とは、思っていたの。でもね、小説の技巧を磨くのに、一心不乱だったから、とても、ペンネームまでは頭が回らなかった。それで、子規さんから、ひぐちいちよう、って名前を貰った時、何か、懐かし〜い、響きの音だなぁ、って思ったの、それが、江戸名物の火事に繋がってたなんて・・。

2010年12月3日 (金) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓押ゝ簡…盂С據鬼あし一門会
 へえ、これだから、世の中は、面白いんだ、人間、長生きはするもんだぜ。韻文の和歌の道を志した一葉さんが、貧乏が理由で断念し、散文の小説に移る、一方、散文の小説に色気を持った子規さんは、才能の無さで断念し、韻文の俳句に移る。この、あべこべの、襷掛けに気付いたのが、鬼あし一門会の、子規さんの一葉命名説、に繋がったのさ。

2010年12月2日 (木) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓院“口一葉@火口イチョウ
 子規さんと全く逆なのが、あたしなの。あたしはさ、家が金持ちなら、あの萩の舎で中島歌子先生の二代目になれたんだけど、とにかく、貧乏人の小娘だったから、いくら、和歌が上手い、書が上手だっても、金のないのが縁の切れ目、和歌の世界から泣く泣く離れて、散文は小説の世界で、身を立てる決心を固めた、そんな矢先に子規さんとご対面さ。

2010年12月1日 (水) 第三幕 子規が一葉と名付ける法真寺@明治24年11月
癸沓亜\飢子規@まさ可笑しき
 そうさ、この明治24年の晩秋は、あたしにとっちゃぁ、今までのフワフワした浮気心が吹っ切れて、俳句一筋で進む!と腹を括った頃さ。まあ、その理由は、あたしには小説を書く才能がなかった、って事、幸田露伴の小説「風流仏」に触発され、英文科から国文科に転科まで、したのだが、返って、散文の才能がない事が分ったんだ。