「土方歳三と千姫・一葉が日刊鬼あし名走談」
(2007年9月)

2007年9月29日 (土) 癸苅苅魁‥敲歳三は千一マラソン開催を謡う
 おっとっと、鬼あしのご隠居、そのボランティア魂withエンジニアリング・デザインって奴はよ、貴方が11月13日に四ツ谷の土木学会で打つ興行のテーマ、大看板じゃないんですかい。確か、四ツ谷キャリアアップ・フォーラムとかの大それた名前を付けてよ、日経新聞と三菱地所が毎月開催中の丸の内キャリア塾、ってのと渡り合うって云ったね。
 まあ、あっしはさ、フランスの陸軍士官さん、その中でも仲良くなったのは工兵仕官だったが、この連中から、ミリタリーエンジニアリング・デザインってのを教わった。ついでに、当時のフランスのパリ・コンミューンだとか、ワインやシャンソンだとかもね。まあ、フランスが性に合ってたのか、おかげで、函館まで官軍相手に戦う羽目になったさ。

2007年9月28日 (金) 癸苅苅押ゝ簡…盂С擇千一マラソン開催を語る
 そう、そこなんですよ、一葉さん、ボランティア魂withエンジニアリング・デザインってハイカラな行動原理、これを、クロケットの英雄逸話から学んだ土方歳三さんは、ここから、人が変わった。近藤さんと相談してデッチ上げ、新撰組を支配した、まやかしの武士道、取って付けた武士道、亜流の武士道、こう云うややこしい求道を放っぽり出した。
 将軍様だ、殿様だ、って云った主君と家来の縦の序列でがんじがらめの武士道じゃない、百姓町人つまり民衆から支援される士道、これが、ボランティア魂withエンジニアリング・デザイン、工学的アプローチを重ねる義勇兵ってんだ、この見本に近いのが、江戸にいたのよ。フランスから来ていた幕府のお抱え陸軍士官団、軍事工学のエキスパートさ。

2007年9月27日 (木) 癸苅苅院^賤佞千一マラソン開催を詠う
 まあ、そうよ、土方歳三が恋焦がれる、歴史上の英雄が、大和古来の楠正成や新田義貞、足利尊氏じゃ、歳三さんのセンス、容貌に会わないさ。この優男のバタ臭さには、やっぱり、海の向こうで、荒くれ男どもを束ねて、義勇を追及したボランティア・スピリッツが、お似合いよ。その中で、日本のデイビー・クロケットを土方歳三は、意識した訳よね。
 私のような小説家、戯作者が、見ると、土方歳三には、明らかに、不連続点がある。あの鳥羽伏見で官軍に散々やっつけられ、惨めな思いで、江戸に戻って来た時よ。もう、近藤さんにはファイティング・スピリッツはなかったけど、土方歳三には、新たな、闘争心が芽生えた。それが、エンジニアリング・デザインを伴うボランティア魂だったのね。

2007年9月26日 (水) 癸苅苅亜\乕韻千一マラソン開催を謳う
 そのデイビー・クロケットの噺は、前にも散々聞かされたわよ。要は、クロケットのボランティア・スピリッツって奴に、土方歳三はぞっこん感銘した、惚れ込んだ、って事で、土方歳三は、日本のクロケットになろうと、思い立った。上手い具合に、クロケットが活躍したテキサス州は、ロンリー・スター、つまり、一つ星が、州の旗印だもんね。
 で、日本で一つ星、って云うと、宵の明星、明けの明星の金星、よね。周りの星がまだ輝いてない時と、輝きを失った時に、燦然と輝く一つの星、あんた、土方歳三は、この金星の一人舞台の輝きを、怒涛逆巻く幕末維新の御世に、世の中の朴念仁たちにご披露する、って按配さ。その際の、ミッション・インポシブルがエンジニアリング・デザインよね。

2007年9月25日 (火) 癸苅械后‥敲歳三は千一マラソン開催を謡う
 まあ、今から思い出しても、この時代の変化は早くて激しかった。いえね、あっしは、特別、尽忠報国とか、勤皇だ、佐幕だ、とかに興味はなかったが、村田さんと知り合い、最新の薬学知識と、もう一つ、メリケンの独立戦争とかの噺を、聞かされ、そこから、鬼あし人生が急変したね。一度、村田さんに連れられて、開港したての横浜に行商したよ。
 あっしの目的は、メリケンの如何わしい商売人相手に、特製石田散薬がどれぐらい、高く売れるか、それを試したかった。でね、建ったばかりの怪しいメリケン商店で、荒くれ船乗り相手に商いを始めたが、奴らにゃ、肝心要の銭がない。まあ、商いは諦めて、村田さんの通訳で四方山話が始まり、聞いた噺が、テキサスの英雄、デイビー・クロケットさ。

2007年9月24日 (月) 癸苅械検ゝ簡…盂С擇千一マラソン開催を語る
 そうさ、江戸の幕府と京の公家に関係するキチンとした銭と情報の裏づけ、これを土方歳三さんに提供したのが、京育ちの公家出身の大奥の高級女官、ほれ、この時期の少し前、幕府の公武合体政策で、皇女和宮が14代将軍に輿入れて、多数の公家出身の女官が大奥に入った。その中の数人が、石田散薬の特別調合の上顧客になったのさ。
 でね、噺はややこしくなるが、この女官たちも、千数年前から秘伝として伝わる枕頭の媚薬を持っていた。ところが、この媚薬の効き目と土方歳三の媚薬の効き目を比べると、歳三さんのが、格段に勝ってた、って訳さ。それで、女官らは、媚薬の効き目の元、薬の成分や調合方に興味を持ってね。これで、一躍、土方歳三さんは、薬の神様になった。

2007年9月22日 (土) 癸苅械掘^賤佞千一マラソン開催を詠う
 まあ、土方歳三って、金も力もない色男で女から好かれるだけが取り得、そんな濡れ事師が、ご大層にも、大奥の高級女官を誑かす、ねえ、土方歳三さん、こんな噺は、まるで小説、まやかしの世界だけの出来事って感じなんだけど、事実は小説より奇なり、って事で、誑かした挙句に、大枚な銭と、天下のご政道の機密事項に繋がる情報を掴んだ。
 あたしの勘じゃ、小石川の柳町で子供たちからも貧乏道場、カラス道場って馬鹿にされていた近藤さんの道場が、大勢の食客を抱えながらも、なんとか喰い繋いで、急に江戸から姿を消して、その内、京の巷で泣く子も黙る新撰組とかに化けた、この顛末には、キチっとした、銭と情報の裏づけがあった。その顛末が、特製石田散薬の媚薬効果って訳か。

2007年9月21日 (金) 癸苅械供\乕韻千一マラソン開催を謳う
 へえ、土方歳三さんは、もともとは単なる濡れ事師ね、なんか、エロチックな語感が丸出しのビジネスじゃん。まあ、濡れ事ってのが、どんなのか、気質の女にゃ、ある程度は想像が付くけど、今までのあたしの女人生にゃ、ご縁のなかった世界ね。でもね、こうやって、土方歳三さんの顔姿をまじまじと眺めると、確かに、抱かれたい気持ちになる。
 でもさ、土方歳三さん、あんたにゃ、女が人生を賭けてまで、添い遂げようとする、そこまでの頼り甲斐、甲斐性は、なさそうね。要は、一時のアバンチュールの相方、それが終わると、綺麗さっぱりと、別れられる、跡を濁さない濡れ事師なのよね。そんな男が、特製の枕頭の媚薬を操って、大奥の高級女官を薬籠した、その目的が、鬼銭、鬼悪ね。

2007年9月20日 (木) 癸苅械機‥敲歳三は千一マラソン開催を謡う
 まあ、鬼あしのご隠居が、今云った事はさ、あっしは今まで誰にも話した事がない。あっし一人の腹に仕舞い込んだ極秘だったんだが、どうしてこうも簡単に見破られたのか、まあ、前にも云ったけど、今まで土方歳三を研究した輩で、鬼あしに興味を抱いた御仁はいなかった。それが、鬼あしのご隠居の登場で、鬼足から鬼銭、鬼悪まで見破られたね。
 ご隠居が伝通院や吉原遊郭の周り、それに村田蔵六さんの鳩居堂跡に、あっしの痕跡を探し回ってる、って噂は聞いたが、村田ブランド興奮剤を調合した特製石田散薬で、大奥の高級女官、それも京の公家育ち、を薬籠したって事まで、お見通しとは、蛇の道はヘビ、ってね。単なる濡れ事師のあっし、が、京の巷で暴れ回るのは、こいつがご縁さ。

2007年9月19日 (水) 癸苅械粥ゝ簡…盂С擇千一マラソン開催を語る
 まあ、薬の青天井相場、ってね、その薬が欲しい人に取っては、どれだけ銭を積んでも、惜しくない。で、欲しい人を見つけるのが、薬屋の腕なんだが、上手い具合に、伝通院が近藤さんの道場の、すぐ近く、門弟になっている寺侍もいた。そう云う、上手いコネを通じて、土方歳三さん、貴方は、一番高く買ってくれる顧客を見つけた、って訳だ。
 でね、その顧客の生まれは、京のお公家さん育ちの、大奥の高級女官、なんと将軍様の側室やお局さま、で、この公家の姫様とのルートが、後々、新撰組が京で旗揚げした時、大いに役に立った、って按配さ。貴方の調合した、特製の石田散薬は、特に、上方の灘や伏見の酒と相性が良く、蕩けるような極楽気分にさせる興奮作用が人気を呼んだ。

2007年9月14日 (金) 癸苅械魁^賤佞千一マラソン開催を詠う
 そうね、近藤勇の江戸道場は、伝通院の裏口の真正面、小石川を渡った所にあって、柳町のカラス道場、って、町人たちから馬鹿にされていたわね。ただでさえ、少ない門人が、例の幕末コロリの流行で、ばったり、来なくなった。で、たちまち、金庫はカラ、米びつもカラ、でも、大飯喰らいの食客、居候は、居すわったまま、とにかく、銭が欲しかった。
 で、土方歳三さんは決心し、ルビコン川を渡った、つまり、貧乏人相手の薬屋稼業から、金持ち相手の商い、付加価値を高め商品を提供する、土方ブランドのビジネス展開よね。で、男女を問わず喉から手が出るほど、欲しい薬、濡れ事の媚薬を商う臍を固めた。村田さん仕込みの興奮剤を混ぜた、石田散薬スペッシャル、を、伝通院に持ち込んだ。

2007年9月13日 (木) 癸苅械押\乕韻千一マラソン開催を謳う
 へえ、ゆとりのある経営ね、要は、お金が儲かった、って訳で、江戸じゃ、お金の事を、おあし=お銭、って云うから、鬼あし=鬼銭になったのか。そう云えば、土方歳三さん、その頃、あたしの縄張りの伝通院に、ちょくちょく来て、古参の寺侍とかと、境内の隅っこの方で、何かヒソヒソ噺を交わして、どう見ても、尋常じゃない取引をしてたわね。
 まあ、昔からお寺ってのは、博打と逢引のメッカ、中でも伝通院は、江戸城は大奥の高級女官が、法事とかを口実にやって来て、本堂とは別棟の離れの小部屋で、歌舞伎役者や若侍に抱かれる、ってのが相場だった。で、その男女の仲を取り持つのが寺侍たちで、土方歳三は、その寺侍の古参と仲が良かった、って事よ。こいつぁ、何かある!

2007年9月12日 (水) 癸苅械院‥敲歳三は千一マラソン開催を謡う
 けっ!お見通しだね、鬼あしのご隠居、そうさ、村田様に逢うまでは、あっしの鬼あし、は、単なる鬼足さ、脚が丈夫のすね自慢よ、それが、村田様から、オランダ渡来の近代医学や薬学ってメディカル・エンジニアリング・デザインを教わり、はては、近代会計学や経理って金融エンジニアリング・デザインを仕込まれて、これを、薬屋行商に活かしたさ。
 その挙句が、鬼あしが、鬼足から鬼銭、鬼悪し、までを包括する歳三エンジニアリング・デザインになった。要は、単なるスポーツ、ランニングやウォーキングから、工科系の微分方程式を駆使するエレガントな学術分野が誕生した、って訳さ。お蔭で、今まで、貧乏の極みだった、近藤さんの江戸道場が、多少は、ゆとりのある経営ができる按配になった。

2007年9月11日 (火) 癸苅械亜ゝ簡…盂С擇千一マラソン開催を語る
まあ、今で云う、神経興奮剤、ってのが、ある事は、土方歳三さん、あんたも、よくご存知だった。ところが、その興奮剤が、どこで手に入るか、その値段はいかほどか、ってのが、全くの謎さ。変な所で、変な人から手に入れると、天下の御政道に反する、ってんで、伝馬町の牢屋行きさ。これを、御政道に沿って、手に入れるルートが蔵六さんだった。
まあ、当時の江戸で、村田蔵六といえば、講武所の教授でもあったし、幕府や宇和島藩を通じて、医学の研究に使う、とか云って興奮剤の元を、手に入れる事は、たやすい事だった。もっとも、蔵六さん本人は、その興奮剤で、男女を蕩けさす、濡れ事の世界に浸らせる、媚薬を作る気はさらさら、なかったけどね、それを、させたのが、鬼悪の歳三さ。

2007年9月5日 (水) 癸苅横后^賤佞千一マラソン開催を詠う
 その村田蔵六って蘭学者、おでこが飛び出て、目がギョロっとした撫男でしょ。あたしも会ったよ、千姫様の伝通院の近く、別名が、こんにゃく閻魔の源覚寺の境内さ、まあ、馬鹿な男でさ、こんにゃく閻魔って名前だから、こんにゃくを買いに来た、らしくてね、じゃなくて、目の不自由な方の信仰厚きお寺と知って、ここは眼科ですかって感心してた。
 で、天下の妙薬を高く売り付ける噺だけど、まあ、あたしも吉原の裏門前で駄菓子屋を商ってたから、たびたび、出会ったけど、いるのよね、これさえ呑ませば、どんな女もコロリと惚れてくれるよ、とか、云ってインチキな惚れ薬を売る手前がさ。でもね、村田蔵六と土方歳三が繋がって出来た薬は、これは、本当に効いた、身も心も蕩けた、かもね。

2007年9月4日 (火) 癸苅横検\乕韻千一マラソン開催を謳う
 そうよ、松陰先生の清々しさは、母性本能を擽る、そんな一面もあったけど、まあ、あれだけ立派な殿方は、もう金輪際、この日本じゃ出て来ない、稀有のお人だった。まあ、あたしは、あの方が、伝馬町の牢獄で認めた、留魂録って、遺書代わりを読んだけど、涙が出たわ。今でも、年に数回、環七沿い、世田谷の松陰神社に、お参りに行ってるのよ。
 で、その小塚原の処刑場に行って、村田蔵六様と出会う、ってのが、不思議なんだけど、確か、これも偶然なんだけど、同じ日時に、同じ小塚原で、村田様が、獄死した女囚を、解剖、つまり、腑分け、する見学会が開催されていた。その参加者に、恐らく、土方歳三さんのお得意様がいて、そんなこんなで、村田蔵六と土方歳三が、繋がった訳でしょう。

2007年9月3日 (月) 癸苅横掘‥敲歳三は千一マラソン開催を謡う
 あ〜あ、鬼あしのご隠居は、あっしの事は何から何まで、お見通し、って訳だ。ええ、そう、ご隠居の云うように、大村、いや、村田蔵六様とは、ひょんなご縁で、知り合った、その場所は、千住の小塚原の処刑場さ、あっしが共感していた吉田松陰先生が、処刑される、って噺を聞き込んだ。で、その日に、行ったさ、小塚まで、いやいや、寒い日だった。
 まあ、当時の憂国の志士、尽忠報国の若者にとっちゃぁ、松陰先生の、理念の高い云う事や書く事は分らないが、やった事、ペリーの黒船に乗り付けたり、故郷の萩で塾を開いた事などなど、は、共感できた。おまけに、あっしと違って、女にゃ固い、朴念仁さ。そんな、お方が、幕府の仕置きで打ち首さ、あっしは、その死に際を見届けたい、と思った。

2007年9月1日 (土) 癸苅横供ゝ簡…盂С擇千一マラソン開催を語る
 へへ、一葉もお見通しさ、土方歳三の商う石田散薬が、出来損ないのインチキ薬から、打身挫きを、酒と一緒に飲んで直す妙薬に変わった、その顛末は大村様が南蛮仕込み、西洋のメディカルエンジニアリング・デザインさ。同時に、歳の鬼あし、が、鬼足から鬼銭に化けた楽屋裏さ。まあ、とにかく、大村様のお蔭で、石田散薬が天下の妙薬になった。
 でね、こうなると、売る相手を、何処の誰にするかが、頭の見せ所になる、貧乏人相手の商いから、大金持ち相手のマーチャンダイズ・ビジネスになった、って訳さ。さあ、そこで、土方歳三さんは考えた、売り込む相手をさ、もともと、二枚目の美男子、おまけに、ご本人も、大の女好き、ここは一丁、傾城の美女を相手に、高く売り込もう、ってね。