コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.683

◎「白牡丹 月夜月夜に 染めてほし、豊玉」、これで鬼アスロン開催か (その10)
〜吉京に上がった歳三、所司代の桑名藩と公家娘を介して親交か〜

 団塊プレアミューズ部会用のアミューズアスロン、『厳冬!踊る大走査線フットジョイ30km』が出来上がりました。早速、スポーツエントリーに案内を送り、以下のサイトでアップされています。

http://www.sportsentry.ne.jp/event.php?tid=8538

 10月30日、「第17回桑名の殿様まつり」の一環で「第3回木曽三川治水の郷クラムアスロン100km」を開催し、無事終了しました。そのあくる日、殿様まつり実行委員会の打ち上げに参加し、実行委員会の皆様と一杯やりました。桑名市の観光課長とも話し合い、その途中から戊辰戦争での新撰組と桑名藩の話題になり、大いに盛り上がりました。

 よく知られているように鳥羽伏見の戦いで、新撰組と桑名藩は徳川幕府側の賊軍として一緒に戦っています。その馴れ初めは、桑名藩主の松平定敬が元治元(1867)年4月1日に京都所司代に任じられたからです。定敬の兄が、会津藩主の松平容保で京都守護職に任じられています。つまり、この兄弟が幕末の京の行政全般を預かった訳です。

 新撰組のパトロンは会津藩、つまり松平容保です。江戸からやってきた幕府浪士隊の芹沢らと近藤らが会津藩と関わった顛末は昨年の大河ドラマ『新撰組!』でも放映されています。ですが、所司代を任じられた桑名藩と新撰組の関わりは、あまり知られていません。この桑名藩と新撰組の接点が歳三だと、私は踏んでいます。所司代、その役割は天皇、御所宮廷に傅くお公家さんの管理監督です。

 当時の京のお公家さんたちの暮らしは裕福ではありませんでした。お公家さんは娘さんたち、公家娘を大名や豪商たちに売りに出して暮らしを支えていました。この公家娘たちが歳三の魅力、美貌と腕力と薬学に掘れ込みました。


 <走談家>      藤田 俊英 (05/11/06)





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