コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.676

◎「白牡丹 月夜月夜に 染めてほし、豊玉」、これで鬼アスロン開催か (その3)
〜歳三が行商の石田散薬、和紙の郷は小川町の郭で効用を活かす〜

 実は下見の前日、4月28日から小川町に入って、役場で小川町史を読み、駅周辺を踏査していました。町史の中で、土方歳三と関連する記述を見つけましたが、さて置いて、小川町駅周辺の佇まいです。何となく分かるんですね、艶めいた感じが、絶対にこう言う佇まいが残る所は、昔、色町が隆盛を極めていたんです。それで、駅前の食堂の女将さんに尋ねたら、詳しく教えてくれました。

 駅の南を約500m、国道254号と槻川に挟まれた東西500mに細長い一帯が昔の色町、今も明瞭に面影が残る所でした。この当たり、中世から鎌倉と上州を結ぶ鎌倉上街道の要衝の地として栄え、江戸時代には小川の手すき和紙を扱う仲買人が江戸からやって来て、豪勢な郭遊びを演じ、金をばら撒いたようです。

 とにかく小川の和紙、中でもコウゾだけを使用した「細川紙」は絶品、今ならダイヤモンドくらいの価値があり、最盛期には紙梳き屋が400軒以上も技を競っていたと言います。今と違い、江戸時代の和紙は貴重品、そんな中でも極上の細川紙の使い道、を考えて下さい。実用品でなく工芸品、芸術作品と言って良いでしょう。手に入れる事ができる人も、ごくごく限られています。

 となりますと、古今東西、極上の工芸品の使い道でポピュラーなのは贈り物、贈答品、それも色恋が絡んだ男女の間と考えるのが大人の常識です。問題は送り手が男か女か、 です。ここで、土方歳三の二枚目、イケメン、女たらし・・の言い伝えを思い出すと、歳三が石田散薬を高く高く売るためのセールス手法として、散薬に含まれていたドラッグ系成分、媚薬の効能を十二分に活用した、商売を展開していたと推論します。


 <走談家>      藤田 俊英 (05/09/08)





前のページへ戻る