コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.627

◎石の上にも三年、カウラからシドニーまで330`RUN その7
〜経験と度胸はプロデューサー修行で積んでいきます〜
 8月6日の午前2時、カウラの連合軍捕虜収容所跡地から約118`のバサースト(Bathurst)市内のモーテルで約7時間の睡眠後に起床、午前3時に62`先のリツゴー(Lithgow)を目指し国道32号を東に走行しました。この国道はいわゆるハイウェイ、時折、大型トレーラーが時速100`超でスッ飛ばして行きます。相変わらず、道路脇の路肩の舗装はヤスリ状況、楽松師匠のシューズのアウトソールがベロっと剥がれています。

 プロデューサーとしての度胸と経験の無さは、他人に任せる気が毛頭ないので、自分が経験を積んで度胸を着ける事でしか補えません。うまい具合に、カウラの桜祭から帰ってきてすぐ、10月21日に『第1回本州横断・地域連携110`ウルトラランニング』を主催する手筈になっていました。開催当日、午前5時のスタート地点は若狭湾に臨む敦賀の毛比の松原でした。参加費3千円の申込者18名の内、16名が参加してくれました。

 敦賀をスタート、県境の深坂峠を越えて琵琶湖岸に入り、木の本から北国街道を進み、長浜の郊外から伊吹山麓の広域農道を関ヶ原に向かいます。この当たりで、残る2名が送れて参加して来ました。ずーと後になって、知らされたのですが、この2名が日本100マイルクラブのオーナーとして有名な男女ペアさんでした。第1回の優勝者は陸蒸気走友会の城定さん、私の手製のコースマップをしっかり握って9時間30分で完走されました。

 と言うことで、2001年秋からロードランニングのプロデューサーとして修行を始め、2002年の『第2回本州横断・・』に楽松師匠から参加申込が届きました。これ以降、師匠とランニングでご縁が続き、2003年になり、新しいランニングイベントとして一泊二日の『豊田佐吉メモリアル2デイズマラニック』を師匠がガイドランナーを務める演出で賞品開発しました。2デイズマラニックはその後、『楽しい松崎・・』、『南房総館山・・』、『商い街道・・』『鈴鹿山脈二峠超え・・』と品数を増やして行きました。


 <NPO法人・市民歩走者学会 会長>      藤田 俊英 (04/09/06)





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