コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.626

◎石の上にも三年、カウラからシドニーまで330`RUN その6
〜カウラに行って調査完了、ですが経験に度胸がありません〜
 8月5日の午後五時前、カウラの連合軍捕虜収容所跡地をスタートして15時間が経過し、約118`のバサースト(Bathurst)市内に入りました。この間、ほとんどが豪州の大平原、シャワー、みぞれ、小雪・・と大荒れの気候でしたが、楽松師匠の足取りは快調です。でも、成田を出てからの二晩をほとんどまともに寝ていませんので、モーテルに入ってしっかり寝ることにしました。その前に、運転手の田中さんの案内でレストランに入り、パスタの二種類二人前を平らげました。午後8時就寝、起床は午前2時でした。

 2001年4月、桜の季節となりカウラプロジェクトの第1段階の準備が始まりました。実はカウラにも10月初めに桜が咲き、なんと日本庭園で「桜祭」が開催されるのです。そこで、カウラツーシドニーの300`以上RUNはさて置き、まずカウラの地に足を踏み入れるイベントを用意しました。桜祭に合せて、地元カウラの市民ランナーと一緒にお手軽なランニング大会を開催しようと言う作戦です。

 岡田社長と戸倉理事長と相談し、地元のカウラトライアスロンクラブに呼びかけ、「カウラ桜祭10`RUN」の開催が決まりました。日本庭園の玄関がスタート&ゴール、収容所跡地、日本人墓地、桜並木からカウラ市街を巡る坂のキツいコースになりました。せっかくですので、ゴール後は野外バーベキューで地元ランナーと交流する機会を設け、夜は日本庭園のゲストハウスで開催されるディナーパーティーに参加して、カウラ市長に書簡を手渡しする手筈を整えました。

 10月13日と14日の両日、カウラに赴いて10`RUNとディナーパーティ等に参加し、カウラの地理を知ると共に、シドニーからカウラまでの道路状況、走っている車の台数や大きさ、沿道の店舗の有無などを調べました。日本の道路の歩道を走るのと全く異なる環境で走らざるを得ない事が分かりました。要は歩道がありませんから、車道脇の路肩を進みますが、この路肩部分のアスファルト舗装の凹凸が激しく、ヤスリのようです。

 ほぼカウラからシドニーまで走るための調査は済ませて、2002年10月に開催する準備は整いましたが、一番肝心な点が全く抜けていました。それは、何かと言うと、300`以上の豪州路を走らせるイベントを主催するプロデューサーとしての経験や度胸が全くない事でした。当時の私には皇居でフルマラソンを主催した経験しかありませんでした。


 <NPO法人・市民歩走者学会 会長>      藤田 俊英 (04/08/30)





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