コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.624

◎石の上にも三年、カウラからシドニーまで330`RUN その4
 〜 世界一の美港、シドニーから汽車に乗って 〜
 8月7日の土曜日午後6時過ぎ、冬の夕闇が暗さを増した豪州のシドニー市内、港に臨む有名なオペラハウスの2階に上る階段の途中に地元の若者数人が設えた簡素なゴールに三遊亭楽松師匠が猛然とした足取りで飛び込みました。当たりの人影はまばら、実に簡単なゴールシーンでした。5日の午前2時にスタートして64時間が経過し、師匠が単独踏破した距離は330`に達しました。プロデューサーの岡田社長が記念写真を撮りました。

 岡田社長からカウラの旧日本兵の大脱走事件を聞いて、まずはカウラの位置を世界地図帳で調べました。豪州大陸が見開き2ページに収まっている地図の右下、南太平洋のタスマン海に臨むシドニーからほぼ真西、約230`奥地にカウラ(Cowra)を見つけました。シドニーから鉄道と道路が北に回りこんでカウラに繋がっています。図書館で豪州旅行のガイドブックからさらに詳しい地図をコピーして距離を当たると約300`でした。

 この頃、シドニー五輪が終わって女子マラソンで金メダルを獲得した小出&橋の男女お神酒徳利な師弟コンビがマスコミに喧伝されていました。尚子さんが勝ったコースは坂道の連続だそうで、私自身も96年8月に開催された第1回シドニーマラソンで坂道の連続と冬にしては強い日差しに悲鳴を上げました。その翌日、シドニーの代表的観光スポットであるオペラハウス周辺に出かけ、いたる所で市民ランナーの走る姿を目撃しました。

 岡田社長の要求は簡単明瞭、「カウラの日本人墓地に眠る英霊の方々の供養になるランニングイベントを開催したいので、何かやってよ、藤田さん」、です。ランニングのレースプロデューサーを目指して退社して数ヶ月の私にとっては断れないリクエストでした。相手は60数年前に「生きて虜囚の恥をさらけ出し、その苦悶の果て、突然の無謀とも言えるブレイクアウト(脱走)を敢行された日本人」、それも外地にひっそりと眠る方々です。

 何が供養になるか、一応、英霊になったつもりで考えました。南太平洋の戦地で奮闘の甲斐なく捕縛され、シドニー港から奥地のカウラ連合軍捕虜収容所に護送され、収容された方々・・と順を追って行きますと、シドニーからカウラまで、当時の事ですから、やはり鉄道で護送されたんでしょうね。300`の道程を鉄道で貨車か客車に乗せられて、何時間かかったのでしょうか。カウラに着いて鉄道から離れる時、線路を見つめて頭に過ぎったでしょうね、「虜囚の身なれども、きっと、この線路を逆に戻る日が来る」、と。


 <NPO法人・市民歩走者学会 会長>      藤田 俊英 (04/08/20)





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