コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.621

◎石の上にも三年、カウラからシドニーまで330`RUN その1
〜発端は酒席での意気投合、参加ランナー探しに四苦八苦でした〜
 7月25日の日経新聞朝刊、「世界いまを刻む」欄で「捕虜集団脱走から60年/カウラ日豪の懸け橋/庭園整備、交換留学広がる/元捕虜も慰霊式に」とのタイトル記事が大きく掲載されました。今から60年前の8月5日午前2時、豪州南東部シドニーから330`奥地の牧草地にあった連合軍戦争捕虜収容所から旧日本軍兵士約千人が集団で脱走を図り、警備兵の銃撃などにより230人余りが死亡しました。

 この8月5日、その英霊が眠るカウラの日本人墓地からシドニー港のオペラハウスまで330`を2人で走り繋ぐ試みを敢行します。主催者は潟Iズプロジェクトの岡田社長、私が企画協力し、3年間の準備期間を経ていよいよ実現の運びとなりました。参加の一行は第1走者が三遊亭楽松師匠、第2走者でディレクターが私、伴走車の運転が田中秀明、シドニー市内のガイドランナーが岡田社長です。

 この試みに興行性は全くありません。3年前、某旅行者に勤めていた岡田社長と私がカウラの事を調べながら、一杯飲んでいて、ふと考えました。かの地に眠る英霊の方々の心残り、やり残したこと、は何か、そのためには何が必要だったのか・・、そうしますと、日本に帰りたい、そのためには捕虜収容所から出てシドニーまで出て、飛行機か船で日本に、となります。

 「だったら、英霊の方々に成り代わってシドニーまで走ろうぜ!」となりました。まあ、ここまではよくある酒の上での意気投合です。ところが、岡田社長も私も取り柄はしつこさ、しかるべきランナーを探して3〜4人で交代しながら走ろう、と言う基本方針でしかるべきランナーを探していました。それが、シンドイ話で、普通のサラリーマンが「はい、そうですか、それなら走ります」とは、行きませんでした。


 <NPO法人・市民歩走者学会 会長>      藤田 俊英 (04/07/27)





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