コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.595

◎土方歳三鬼あしフェスタを開催します その5
「神出鬼没な歳三の行商センスが風の道に吹く」
 二月八日の放送は近藤勇の婚礼のシーンがユーモラスに演出されていました。さて、この婚礼場所は天然理心流の江戸道場、試衛館なんですが、一体どこにあったのでしょうか?実ははっきりと分かっていなくて、旧町名で小石川小日向柳町、小石川小日向町、小石川柳町、市ヶ谷柳町、二十騎町・・など諸説に溢れています。幕末の京で一躍有名になった新撰組の局長、近藤勇の江戸道場の所在がなぜ、はっきり分からないのでしょうか?

 理由は簡単、有名になった近藤以下試衛館出身の新撰組幹部にとって、試衛館は思い出したくもないぐらいの貧乏道場だったから、「江戸の道場はどこですか」と、京で訪ねられても曖昧に答えていました。近藤を慕う居候の食客が十名近く、ごろごろして飯だけ腹一杯食う食費に足りるだけの門人の数が集まりませんから、完全な赤字道場でした。そんな居候の中で金を捻出できたのが唯一、土方歳三でした。歳三の実家の家伝の「石田散薬」が金のなる木でした。

 できるだけ高い値段で「石田散薬」を売る。これが、歳三の行商ビジネスの真髄です。打ち身と挫きに良く効く薬をいくら高くても欲しがる客、そんな客が住む軒下を歳三は神出鬼没で薬を売り歩いていました。高く売っても感謝される歳三のビジネスセンスはまさに『鬼才』でした。そうして稼いだ金は近藤道場に寄付されますが、当時の江戸町人は金のことを古典落語でよく聞くように、『お足』と呼んでいました。歳三の鬼才が稼いだお足ですから、近藤は『歳三鬼あし』と名付けて大事に使ったようです。

 神出鬼没、神業のように自由自在に現れたり消えたりすること、極めて巧妙に出没すること、歳三のビジネスセンスにピッタリの表現ですね。歳三から石田散薬を買った客は、まるで一陣の風がピューっと吹いて歳三が現れ、去った後には我が身の打ち身挫きがサーっと直っている、そんな印象でした。今も、歳三が行商して回った多摩川には『風の道』と言うランナーズロードがあって、4月4日には走って頂きますよ。

 <特定非営利活動法人・市民歩走者学会(CReW) 会長>      藤田 俊英 (04/02/16)





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