コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.570

◎市民歩走者学会がNPO法人設立認証を取得しました その1
〜トヨタグループ創始者、豊田佐吉翁の故事をマラニックします〜
 9月5日の金曜日、円楽一門会の噺家真打である楽松師匠と「第1回豊田佐吉翁メモリアル/2デイズ117`RUN&WALK」の試走会を実施しました。日本の元気印、トヨタグループの創始者である佐吉翁が尋常小学校を卒業した12歳の時の故事を再現する歴史的マラニックです。時は明治初期、まだまだ江戸時代の名残が色濃く残っている頃です。体がひ弱だった佐吉は、愛知岡崎に在る岩津天神までの健康祈願、一泊二日の一人旅を両親に申し出ました。

 許可を得た佐吉は身支度を整えて、朝早く草鞋を履いて土の道を歩き始めました。まだ鉄道は整備されていません。庶民は歩くしか移動の手段を持っていません。東海道は歩いて旅する人たちで賑わっていました。浜名湖の西岸、今の湖西市の吉津村から東海道まで二里、東海道を二川の宿場、吉田(現在の豊橋)の宿場、御油の宿場、赤坂の宿場と約九里を歩きますが、目指す岩津観音はまだまだ五里も残っています。

 佐吉は吉津村から岩津まで十里と聞いていましたが、実際に歩いてみると十四里(約55`)もの道程です。岡崎の手前、藤川の宿場で疲れ果てて座り込んでしまったそうです。お腹はすくし、足は痛いし、おそらく泣き出す一歩手前だったのでしょう。そんな時に、街道沿いの宿場の民家から手機を織る音、バッタン、バッタンというゆったりとしたリズムが聞こえてきました。

 吉津村にも手機の音は溢れていました。このリズムが佐吉を元気をしました。気を取り直して、残る五里の道中を歩き始めました。すると、街道沿いにバッタン、バッタンの音がまるで道案内のように佐吉を勇気づけ続けました。日はどっぷりと暮れた頃、目指す岩津観音の温泉宿に辿り着いたそうです。

 <特定非営利活動法人・市民歩走者学会(CReW) 会長>      藤田 俊英 (03/09/09)





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