コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.529

◎東京と名古屋でシティウォーキングを開催しました その2
〜豊田佐吉の故事に習って「ものづくりウォーキング」開催支援〜
 24日の日曜日、「第1回ナゴヤシティ・ものづくりウォーク」が開催されました。主催は同ウォーク実行委員会でして、私も実行委員の末席に繋がっています。他の実行委員のメンバーは強力で、産業技術記念館、名古屋西区役所などの方が就任されています。又、中日新聞と東海テレビが共催しています。お陰で、日曜夕方5時半からフジテレビ系の「日曜夕刊」でウォーキング中の様子が2分ほど放映されました。

 ものづくりウォークを開催しようと産業技術記念館の館長に提案したのは今年の夏頃でした。この産業技術記念館はトヨタグループ各社の協力で設立された由緒ある博物館で、豊田佐吉が発明した各種の自動織機や佐吉の息子の喜一郎が開発した自動車が館内に展示されています。その館内の図書館で佐吉の伝記を読んでいて、佐吉とウォーキングの関わりを発見しました。

 佐吉は子どもの頃、自分の体が弱いことを気に病んでいました。それで、尋常小学校を卒業した12歳の時に、体を強くするご利益が授かると伝えられていた岡崎の岩津の観音様まで12里余、約50キロの一人旅を両親に懇願しました。佐吉の熱心さに根負けした両親は一人旅を許し、佐吉は東海道を西に向かって歩き始めました。明治10年頃の東海道です。道は舗装されていませんし、草鞋履きです。

 途中何回となく歩くのを止めようかと挫けそうになりますが、街道の脇から聞こえてくる機織のバッタン、バッタンという音に勇気付けられます。当時は女性が手と足を使って機織機を操っていました。ですから、そのバッタンのリズムが幼い佐吉の歩くリズムにピタリと一致したそうです。お陰で、日は暮れましたが目指す岩津の観音様近くの旅籠に到着しました。

 <豊田佐吉研究家・スポーツイヴェントプロデューサー>  藤田 俊英 (02/11/26)





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