コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.509

◎「東京いのちのポータルサイト」に東京シティ・レス走り隊 その7
〜残暑の代々木公園織田記念陸上競技場にレス救隊が30数名勢ぞろい〜
 結局、残念ながら毎日新聞の家庭欄には「東京シティ・レス救走り隊」の」記事は掲載されませんでした。そんなことで、いよいよ本番の9月1日を迎えました。新聞やテレビでは、新宿歌舞伎町の雑居ビル大火災から1周年との報道が数多く流れていましたね。昨年の9月1日の午前中は、新宿の空の上をヘリコプターや軽飛行機が舞っていて、その騒音が初台の私の部屋まで飛び込んで来ました。

 残暑が厳しい日でした。午前中に新宿のスポーツクラブでエアロビクスを45分、トレッドミルで10`走りこんで、風呂に入って出てきますと、もうこれ以上走る元気がなくなっていました。部屋に戻って、「東京レス救走り隊」と書いたA5版のメッセージカードを作成して、1枚はディパックに、もう1枚はTシャツの胸の部分に貼り付けました。

 代々木公園の織田記念陸上競技場の入り口まで、歩いたり走ったりしながら1時間かけて、午後2時45分頃に到着しました。すでに十名程度のレス救走り隊員が集まっていました。9月1日は第1日曜日で競技場は無料の一般開放日になっています。自分勝手なコースで走り着いた隊員は、ここのロッカー館でシャワーを浴びることができます。シャワーの後は、お楽しみのビール飲み放題の懇親会が始まります。

 第2回東京シティレス救走り隊の参加者は三十数名、そこから懇親会参加者は二十名でした。「ランニングシティ東京」を実現して、災害に強い東京にすると言う我々の主張は、一般の人にはなかなか理解されませんが、一旦大地震が東京を襲った時、普段から走り慣れている方々が生き残った確率は、そうでない方々よりも高かったことが証明されるでしょう。その生き残ったランナーたちから東京シティレス救急隊が生まれます。

 <新しいランニング・フェスティバルをクリエイトする>  藤田 俊英 (02/09/02)





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