コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.481

◎新撰組の副長、土方歳三は法人再生請負コンサルタントでした その2
〜新撰組は幕末のボランティア集団、義勇な志の健脚ではない剣客たちでした〜
 山海堂の「土木施行」の連載「コンサルタント列伝」、3ヶ月分が完成しました。今回は「士道に殉じた義勇コンサルタント、土方歳三」とタイトルを振って、新撰組副長の土方歳三を登場させました。「義勇=義を見てせざるは勇なきなり」、これを自らの自発的な意志で実践する人を、西洋では「ボランティア=義勇兵、志願兵」と呼んでいます。そうなんです、新撰組は幕末のボランティア集団だったのです。

 実はこの台詞、4月4日の「東京シティロードレース2002、サポートボランティア研修会」で思わず口から飛び出した台詞なんです。東海大学の新出先生、東京陸協の役員、警視庁交通部の伏木係長、宇佐美先生とそれぞれの講義が終了して、最後の総論を私が閉める順番でした。司会者が、「日本スポーツボランティア・アソシエーションの総務局長、藤田さんです」と紹介されました。

 それで、私の話の出だしを和らげるために、「私はNSVAの総務局長ですが、日本で有名な局長はだれでしょうか?」と質問を投げかけました。参加した受講生は怪訝な顔をしていました。「やはり、新撰組の近藤局長でしょうね」と答えを明かしました。その瞬間、「そうだ新撰組はスポーツボランティアだったんだ」、と閃いたんです。それで、「新撰組って、幕末のスポーツボランティアだったんですよ」、と畳み込んでしまいました。

 では、新撰組をボランティア集団にしたて上げたのは誰かというと、見あたるところ副長の土方歳三しかいません。ですから、歳三に関する作品を読み直しました。多摩の日野市の生家と墓所も訪ねました。女性の熱烈なファンが昔から多いことも再確認しました。130余年前に函館で戦死した30歳半ばの男やもめが、なぜに末長く女性たちを魅了するのか、それが今回の私の連載テーマとなりました。

 <千客万来の日本スポーツ・ボランティアソシエーション>  藤田 俊英 (02/05/29)





前のページへ戻る