コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.428

代表の宇佐美彰朗先生が「RUN&WALKな歩道整備」提唱されています その2
建設オピニオン誌11月号 巻頭「視点」投稿〜/安心して歩ける道の整備を〜
 東京ロードランナーズクラブ代表の宇佐美彰朗・東海大学教授の投稿を披露します。NYCマラソンとベラザノ大橋にまつわる想い出を紹介されています。

  「ランナーと“土ト人”のご縁です」   東海大学 教授 宇佐美 彰朗

 昭和五十一年十月二十四日、七月のモントリオールで五輪マラソンを終えてから、ニューヨーク・シティマラソン(NYCM)に招待参加した。ニューヨークは米国建国二百年の興奮がみなぎり、マラソンに参加した二千人の一般市民ランナーと沿道で声援する五十万人の観衆が楽しむ姿を目の当たりにして、私のマラソン観は変わった。スタート直後のベラザノ海峡大橋はパリの凱旋門によく似た主塔が印象的、その当時は世界最長の橋だった。

 昭和三十九年三月二十日、第十二回中日マラソンが初マラソンだった。日本大学に入学後、それまで縁のなかった陸上部に入門が叶って長距離走の練習に参加しているうちに、東京五輪の開催年となった正月の箱根駅伝の四区を任された。当時、日本のマラソン代表三名に大きな期待が集まっていた影響で駅伝の四区を無難にこなすと、なぜかマラソンに挑戦する運命へと繋がった。そして、ベラザノ海峡大橋はこの東京五輪の年に完成していた。

 昭和五十二年十月二十三日、二年連続して招待参加したNYCMは一般市民ランナーが五千人参加するビッグイベントへと飛躍していた。これが私の通算四十一回目、最後のマラソンとなった。最近のNYCMは十一月始めに開催され、参加ランナーが三万人、沿道の観衆が三百万人、直接経済効果が1億jを越える世界最大のマラソンである。スタート直後のベラザノ海峡大橋は上下二段の床版がランニングウェアで覆い尽くされる壮観を見せる。

 第一線にいる頃から、競技ランナー以外の一般の人達にもランニングやウォーキングの指導を続けて約三十年が経った。この間に日本の一般市民ランナーも数を増し、欧米の先進諸都市で開催されるNYCMタイプのマラソンを体験した人も多い。そんな人から決まって問われるのが次の疑問だ。「なぜ、一般市民がニューヨークで走れて、東京で走れないのか?」「本州四国連絡橋、明石海峡大橋を走るマラソンはいつ開催するのか?」

 道路行政には全く門外漢の私だが、平成十年四月に開通した明石海峡大橋が現在の世界最長の吊り橋、全長が約四キロだと知っている。米国には、当時世界最長のベラザノ海峡大橋が完成してから十二年経って、NYCMのコースに使われ始めた事例がある。日本もこの事例に習って、世界最長の明石海峡大橋が完成して十二年後の平成二十二(二〇一〇)年に、明石海峡大橋が世界中のランナーで覆い尽くされる神戸シティマラソンが開催されるだろう。

 “走”は“土ト人”に分解される。“土木トハ人ノ営ミノ根幹ヲツクル業”だそうだ。共に“土ト人”にご縁がある。作った後の根幹をランナーにも使わせていただきたい。

 <街づくりランナーズです、東京ロードランナーズクラブ>  藤田 俊英 (01/12/05)





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