コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.403

豪州サウスウェルズ州、カウラ市・桜祭りに歩走参加します 第5幕
〜カウラの780本桜並木、東京都が寄贈した桜木も満開を誇っていました〜
 13日は「2010カウラ桜祭」の初日です。公式プログラムによると10時から「Cherry Tree Festival Fun−Run」が日本庭園をスタートすると紹介されています。10時前に日本人8人組が着いて、受付を済ませます。9キロと4キロの2部に分かれています。ナンバーカードはA4版画用紙を3つ折りした大きさで、黒のマジックで番号が描かれ、安全ピン2本でTシャツに固定する簡便なスタイルした。このスタイルを来年の第2回東京シティマラソンで試して見たいと思います。

 10時7分、快晴の下に号砲が鳴りました。地元参加の9キロ組がすっ飛んで行きました。その後を4キロ組が走ったり歩いたりしています。まさしくRUN&WALKの姿が豪州カウラで実現されました。瀟洒な住宅地から捕虜収容所跡地の草原を巡って4キロがゴールすると、9キロ組はほとんどゴールを終えていました。ゴール後は、お決まりの表彰式に参列し、そこで宇佐美先生の親書をスターターのトムさんに手渡しました。バーベキューランチパ−ティを済ませ、戦没者墓地に向かいました。

 墓地での慰霊祭は荘厳さがありました。日本人墓地の敷地は千百坪程度でしょうか、何でも日本領土との事です。尺八の演奏が流れ「日本人戦没者之墓・昭和39年9月」と刻まれた黒の墓標に線香を1本手向けました。日本人墓地の横に豪州人の墓地があり、20本程度の墓標が並ぶ中で4本の墓標に多数の花が手向けられています。この4人が「日本人捕虜、暁の大脱走」で勇敢に戦死された方々との事です。

 墓地から桜並木を見物です。870本並んでいる根本には、植樹者と木の里親の指名に通し番号が刻まれた真鍮のプレートが添えられています。番号の1から10は、Hiroyasu Nakasone、11番から20番はMichio Watanabeの名前が刻まれていました。Goverment of Tokyoの桜も10本、威勢良く咲き誇っていました。

 <団塊世代にメンタル走談する東京ロードランナーズクラブ>  藤田 俊英 (01/10/17)





前のページへ戻る