コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.375

21世紀のロードイベントはRUN&WAKLが先駆けます 第11幕
〜話題を変えて、靖国神社と戦没者墓苑を大村益次郎が繋ぐ一席を披露します〜
 本日13日午後1時から靖国神社に参拝、午後2時から千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参りました。この間の距離は内堀通りに沿って600m程度です。さすがに、多くの参拝者の人出を見ました。夜のニュースが、本日午後4時頃、虚心坦懐に熟慮された小泉首相が靖国神社に参拝したと告げています。

 靖国神社では、参道途中にある大村益次郎の羽織袴姿の銅像の写真を撮りました。戦没者墓苑では、墓苑越しに隣の飛島建設本社ビルを社真に収めました。ご存じのように大村益次郎は明治維新の功労者で、戊申戦争の指揮を取っています。その益次郎が故郷の長州藩に仕える前、村田蔵六と名乗っている頃に飛島建設本社と戦没者墓苑の敷地境界付近に私塾である鳩居堂を開いていました。

 司馬遼太郎さんの長編小説「花神」を読んで、蔵六が番町に鳩居堂を開いたことは知っていました。今回、蔵六の話を私の連載で紹介する必要から鳩居堂の正確な場所を幕末の大絵図で調べた結果、村田蔵六の名前が新道一番丁に載っていました。現在の住宅地図と照らし合わせると、戦没者墓苑と飛島建設本社の境でした。

 別段どうのこうのという話ではありませんが、毎年の終戦記念日を賑わす閣僚参拝の靖国神社と最近話題になってきた国立戦没者霊園のプロトタイプである千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の二つを、幕末維新の軍政家である大村益次郎が銅像と鳩居堂で繋げている一席を披露いたしました。戦没者の方々に合掌。

 <東京シティマラソンを実践する東京ロードランナーズクラブ>  藤田 俊英 (01/08/13)





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