コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.243

◎2001年横田・シモヤケロードレース、4千人が新春駆け 第2幕
〜目標は90分、滑走路の脇をランニングフォームを正して走る〜
 9時半から5キロランが始まっています。ロングスリーブのランシャツにナンバーカードを安全ピンで取り付けて、足裏にワセリンを塗りつけてからランニングソックスに履き替えて、ランニングシューズに足を通します。体育館の中は満員ですので、戸外で着替えを済ませて、ストレッチを始めます。通路の反対側に、アキレストラッククラブが陣取っています。NYCマラソンで見かけた方々がいますね。

 体育館の向こうにあるトラックをユックリ2周して、アップを終えます。ハーフのスタートラインに向かいますが、予定の時刻になっても車椅子レースが始まっていません。スタートしてすぐのカーブにハーフの参加者がゾロゾロいると言って、スタートの日本人担当者が右往左往しています。車椅子の方々が相当に焦れています。この基地のランニングクラブ、横田ストレイダーズの会長がスターターなんですが、若い二枚目の白人が、業を煮やしてバンと一発鳴らしました。合計十台がスタートです。

 この後15分して、10時40分頃にハーフがスタートします。およそ4千人が横田基地内を走り始めます。最初の3キロはジグザグの多いコースです。コンディションは曇天で風弱く、申し分ナシです。私の目標は90分を切ることで、2/4の彩の国埼玉マラソンに向けての調整が主眼です。5キロは21分で通過しました。予定通りです。いよいよ滑走路脇の直線に出ます。ちょっと目は平らですが、走ってみると緩やかな上り下りの起伏が付いています。

 折り返しランナーとすれ違い始めて、10キロを越えます。41分40秒でした。これからの走りが重要で、フォームをチェックします。腰が落ちていないか、膝が開いていないか、腕振りは腰の位置か、着地は・・とか、それなりに巧く走っているようです。滑走路の端が15キロで、63分でした。何とか、90分内でゴール出来そうです。18キロの大勢の人集りを抜けて、あと3キロ、気合いが入ります。例のジグザグコースに帰って来ました。

 <横田基地で霜焼け走り屋・道楽衆> 街づくりランニング商会  藤田 俊英 (01/01/09)




前のページへ戻る