コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.229

◎ワイキキ海浜、観光プロムナードを道楽衆がCIVIC駆け 第5幕
〜常夏のリゾート、真昼のワイキキビーチは米国観光産業の戦略施設ですよ〜
 アラワイ運河を渡って、アラモアナ大通りをワイキキに向かいます。プリンス、ニッコー、ヒルトンの高層ホテルの前を過ぎて、フォート・デ・ラッシー公園の南のカリア通りに入ります。ワイキキビーチに突き当たり、砂浜までせり出したホテルの敷地沿いに、砂浜を歩いて進みます。日本の海岸の砂と違って、珊瑚礁の風化した珊瑚砂は熱くなりません。それでも、靴では砂浜は歩きにくいですね。

 このハワイの海岸リゾートが日本と異なるのは、砂浜で寝そべっている所では飲み食いはしない点ですね。その分、海岸や砂浜が汚れませんし、酔っぱらいも見ませんし、品格が上がります。私の勘では、1898年に米国がハワイを領土としてから、軍事と観光の拠点としてハワイの産業振興政策を掲げ、まずパールハーバ−の軍港整備とこのワイキキの人工海浜整備を着手していますね。

 遠洋航海から戻った米国海軍の乗組員が、このワイキキビーチの人工海浜で寝そべったり、泳いだり、ヨットしたり、走ったりして、来るべき次の航海への鋭気を養ったんでしょう。米国本土の家族や恋人を呼び寄せるのもいたでしょうから、当然洒落たホテルも海浜沿いに建てられたんでしょうね。軍港も人工海浜もホテルも、海軍の工兵隊の土木屋がまとめて作ったかもしれません。

 で、太平洋戦争が終わってパールハーバーの軍港機能が縮小するにつれて、観光機能を強化し、米国のリゾートから世界のリゾートに格上げさせたんですね。その際、ハリウッドの銀幕産業が、このワイキキビーチを舞台にしたハワイアン・ラブストーリーを連発し、世界中にフィルムをばらまいて、ハワイ人気を煽り立てたんですね。目論見通り世界中から観光客がドっとやってきました。

 <常夏のホノルルで走り屋・道楽衆> 街づくりランニング商会 藤田 俊英 (00/12/23)




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