コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.217

第31回NYシティマラソン、町づくるランニングレポート 第20幕
  「ジョン・レノンとNYCマラソンの関係を考察しています」

 最近の首都圏の話題に埼玉新都心があります。そこの「さいたまスーパーアリーナ」というドデカイ箱の一角に、<ジョンレノン・ミュージアム>がオープンしています。20年前の1980年12月8日、セントラルパーク・ウェストの72st.のダコタ・ハウスで、レノンさんは凶弾に倒れたんですね。

 このランニングレポートでも、そのダコタ・ハウスと通り1本隔てたセントラルパークの一角に<イマジンのメダリオン>が黒と白のモザイクで刻まれていることを紹介してきました。また、この一角をストロベリー・フィールズと呼ぶことも触れました。なぜ、オノ・ヨーコさんが、この場所に<イマジンのメダリオン>を亡きレノンに捧げたか、こんな疑問がミュージアムを巡っている間に氷解します。

 ミュージアムを入って、まず7分間のフィルムを見ます。この冒頭に<イマジンのメダリオン>とその周辺の風景が写ります、ランナーの姿はありません。メダリオンには花輪が置いてあります。私が言った時も、一輪の花が置いてありました。ここを出ると、ジョンの誕生から幼少の時代の展示ルームに入ります。子供の頃に、ミミ叔母さん宅で育ったジョンが、この叔母さんよく連れて行かれたのが、ストロベリー・フィールズなんですね。どなたにもある、子供の頃の心象風景ってやつです。

 <IMAGINE>の歌詞の草稿が展示されています。71年夏から秋にかけてジョンが滞在していたNYヒルトンの部屋に備え付けのメモ用紙に、英語で書かれています。橙色の<NY HILTON ロックフェラーセンター>の文字の下に、歌詞が並んでいます。私はNY HILTONで5泊して、そこのメモ用紙には土産物のリストしか書き込みませんでした。

 71年秋のNYCマラソンはセントラルパークの周りを4周している頃です。ジョンは知らなかったでしょう。でも80年秋には、ダコタ・ハウスに近いセントラルパークの一角がゴールのコースになって、参加者も5千人を越えていますから、あるいは子供連れで観戦していたかもしれません。

 <POWER TO THE PEOPLE>という彼の曲に、Say we want a revolution/ We better get on right away/ Well you get on your feet/ And on the street/ Singing power to the peopleなる歌詞があります。早朝のセントラルパークをジョギングしていたかも。

 < NYマンハッタンを走り屋道楽衆 街づくりランニング商会 藤田 俊英> (00/12/3)




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