コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.183

関ヶ原合戦から400年、新戦国女街道はウルトラ走者が<愛知>駆け
 新暦の2000年9月21日、その400年前が旧暦で慶長5年の九月15日でした。関ヶ原の合戦の覇者、家康は勝利が確定して、降り始めた雨で霞む伊吹山の頂を感慨深く望みます。ご本人は、おそらくご存じだったでしょう。家康と伊吹山には、強い因縁の糸が結ばれています。伊吹山の山腹に、家康の薬草園があったとかの小さな話ではありません。もっとスケールのデカい世界です。

 古来から伊吹山は山岳修験者の聖地でした。冬至の日、山頂から朝日の昇る方向に静岡の御前崎があります。この御前崎〜伊吹山の一直線上に、家康の天下取りのプロセスとなる古戦場が、時代の流れの順に並んでいます。まずは、武田信玄に無謀な戦いを挑んだ三方ケ原の戦い、次に武田勝頼を織田・徳川の連合軍で打ち砕いた長篠の戦い、そして秀吉を向こうに回した小牧・長久手の戦い、最後に関ヶ原の決戦です。

 きっとこの事実を家康は意識していたでしょう。「俺は、この一直線で戦えば負けない」、なぜなら徳川家の出身地、三河松平の郷もまさしく、この一直線上にあるから。三河松平は、現在は愛知県豊田市の東端にあります。豊田市の中心から国道301号で新城に向かう途中、山がグっと深まって来た所です。こうい所で育った人間は剽悍でアスレティックなスポーティ思考を体得しますね。

 15日〜16日と関ヶ原を中心に試走を実施しました。ウルトラランナーの原さんの話を多々聞いている内に、ウルトラランニングと産業振興の繋がりが浮かんできました。桑名の水谷さんの故事来歴が頭から離れません。桑名の蛤水産加工業者が関ヶ原に駆けつけ、勝利が確定した家康に祝いの挨拶を届け、今後も桑名での蛤水産加工の確約を頂いています。

 これを再現したいですね。ウルトラランニングでなく、駅伝形式が良いと思いますね。1チーム4人がクルマ1台を用意して、順番に1人づつ走り繋いで行きます。米国オレゴン州の<フッドツーコースト・リレー>のミニ版を、桑名〜員弁〜藤原〜上石津〜関ヶ原〜養老〜南濃〜多度〜桑名の130キロ大集会コースで実施しましょうか。開催日は当然、毎年9月15日です。桑名の伝統食品加工産業の故事来歴をアスレティックな近代駅伝のスタイルで21世紀の平成IT社会で再現します。

 <新戦国女街道/アーバンツーリズム走談 走り屋・道楽衆 藤田 俊英> (00/09/22)




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