コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.181

関ヶ原合戦から400年、新戦国女街道はウルトラ走者が<IT>駆け
 400年前は慶長5年の九月16日午前11時、関ヶ原の合戦の覇者、家康は三成の居城である江州佐和山城を目指していました。関ヶ原からは旧中山道を、今須、柏原、醒ケ井、番場を経て鳥居本の宿場が佐和山の城下町でした。現在は東海道本線の彦根駅の山手方向で、新幹線と名神高速が城跡近くをブっ飛ばしています。

 渡辺先生を岐阜羽島駅でお見送りします。駅のロビーのテレビがシドニー五輪のトライアスロン女子を中継中でした。試走の第4回目、最終ステージのスタート地点に向かいます。相変わらず雨風が強いですね。養老山地の頂をかすめた雨雲が、関ヶ原の方向にスっ飛んで行きます。大垣〜桑名を結ぶ国道258の牧田川橋梁から、堤防道路に進路変更します。ウルトラランナーの原さん、桑名市役所の加藤さんと私が30キロ先の本多忠勝の銅像を目指して、午前11時に雨中のスタートです。

 牧田川の右岸堤防道路は雨風の吹きっさらし、正面から来る風で体がブレます。4キロ進んで、揖斐川への合流地点を目の前にして旧街道に降ります。ここで、伴走車が待機しています。原さんは景気づけに発泡酒を1缶飲み干しました。これでエネルギー補給とか言っています。近鉄養老線に沿って南下します。養鶏場が続く道を進んで、前方に海津橋が見えてきます。橋のたもと15キロ地点に、伴走車がいます。

 海津橋手前から河川敷に降ります。ぬかるむ砂利舗装を2キロ進んで、再び揖斐川堤防道路に上がります。後は一直線に伊勢大橋まで。雨風が弱まって来ます。油島大橋の取付道路の手前で残り10キロ、私は試走を中止します。原さんが、発泡酒を1缶開けて走り出します。桑名市の加藤さんも快調に続きます。

 88年6月4日、<敦賀〜桑名横断・新戦国女街道プラン>と題したB5の企画書5枚を長浜市役所企画課の西島さんに手渡しました。当時はやっていた民活版の地域振興の一環で、北陸〜近畿〜東海を結ぶ広域イベントを創設しようと意気込んでいました。その後、いろいろありましたが、91年11月22日の長浜ロイアルホテルで<北近江・西美濃、リレーシンポジウム>が開催され、パネル・ディスカッションのパネリストとして出演しました。基調講演者の作家津本陽氏らと一緒にレストランで昼食を頂きました。これが私に取って初めての社外での舞台出演でした。

 <新戦国女街道/アーバンツーリズム走談 走り屋・道楽衆 藤田 俊英> (00/09/20)




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