コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.179

関ヶ原合戦から400年、新戦国女街道はウルトラ走者が<哀致>駆け
 400年前は慶長5年の九月15日午後3時、関ヶ原の合戦が終結します。これを待ちかねたように秋雨が降り始めます。家康は合戦中は、ついぞ被らなかった兜をレインコート代わりに頭にします。西軍の大谷吉継の陣小屋に入り、自分の陣所とし、やがて訪ねて来るであろう貴下の武将たちの接待の準備に掛かります。頭の中は、論功報償の分配で一杯だったかもしれません。

 2000年9月15日午後4時、新戦国女街道ウルトラランニングの試走者4人が関ヶ原のバイパスを西に進みます。家康最初の陣、桃配山の付近で国道21号からバイパスに入ります。大垣市の水門川、松尾芭蕉の奥の細道終焉の地を出発したのが3時過ぎでした。東海道本線の下を潜り、東軍の諸陣の跡を左手に見やりながら、伊吹山に向かって進みます。石田三成の陣跡の笹尾山が前方に横たわってきます。

 試走メンバーを紹介しましょう。東京学芸大学スポーツ健康科学学科助教授の渡辺先生、某サニタリーメーカー研究所ドクタ−の原さん、桑名市役所の石川さんと加藤さん、走談家の藤田の五人です。五人がうち揃ったのは、この日の午前7時でした。

 バイパスの左手に多くの旗指物が南風に旗めいています。関ヶ原の合戦の決戦地です。5m四方位の石垣積みの石碑が立って、観光客が訪れています。なぜか笹尾山のトンネルを前にして、バイパスを左折して、石碑の前で記念写真を撮ってしまって、試走初日の所定のメニューを終了しました。大空を雲が覆って来ました。明日の試走は雨の中となるでしょう。400年後の三成の<涙雨>かも知れません。

 関ヶ原から伊吹山麓を経て、長浜グリーンホテルに向かいます。400年前の今頃、敗軍の将の三成は空腹を抱えて、一途に北を目指し、土民の体で落ち延びようとしていました。古今東西、空腹と粗末な身なりは敗軍の将かランナーと相場が決まっています。

 <新戦国女街道/アーバンツーリズム走談 走り屋・道楽衆 藤田 俊英> (00/09/17)




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