コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.178

関ヶ原合戦から400年、新戦国女街道はウルトラ走者が<逢馳>駆け
 400年前は慶長5年の九月15日午前2時、家康は岡山の本営で飛び起きます。「三成が出た!」、大垣城に陣取っていた西軍が、昨夜闇夜の中、雨と泥濘を物ともせず、関ヶ原に向いました。大垣から牧田街道を経て関ヶ原まで16キロ、闇夜雨中で道幅の狭い行軍は難渋を極めました。石田隊が関ヶ原の北西の笹尾山の麓に着いたのは、午前1時過ぎとのことです。

 岐阜で風邪をひいた家康は雨に濡れるのを嫌って、駕籠の中に転がり込み、手早く中山道に入ります。その後を供の者たちが慌てて、馬印、旗指物、槍、鉄砲を抱えて馳せ出します。五十歳台の半ばを過ぎた家康の、日々のエアロビブスなスポーツライフの真骨頂が遺憾なく発揮されています。やたら貫禄だけは一人前で、いざ体を動かすとなると、周りのペースい着いて行けないトドのごとき中高年とえらい違いです。東軍の展開が終わったのが、午前7時頃。雨気深く、霧が関ヶ原に満ちています。

 午前7時15分、桑名城跡前の本多忠勝の銅像前に5人のランナーが勢揃い。東京学芸大学スポーツ健康科学学科助教授の渡辺先生、ウルトラランナーの原さん、桑名市の石川さん&加藤さんに私です。記念写真を撮って、揖斐川右岸堤防道路を遡ります。岐阜県に入って、揖斐川から牧田川に移って、国道258に入ります。大垣市内の水門川、松尾芭蕉の奥の細道終焉の地で休憩を取ります

 関ヶ原のバイパス手前、家康最初陣地の桃配山の麓を通過します。400年前は、合戦の真っ最中な十時頃、笹尾山のトンネルをくぐります。北国街道の国道365に出てすぐ、伊吹山山麓を縫って走る農道を経て、再度365を木之本まで。国道8号に入って琵琶湖岸から峠を越えて敦賀市の気比の松原に到着します。桑名の銅像から115キロ位の、伊勢湾〜揖斐川〜琵琶湖〜若狭湾と繋ぐ水の街道です。

 午前11時40分、試走開始です。前方正面からフェーン現象な南風を受けて、気温31度の中を4人の試走者が今来た道を峠に向かいます。伴走車の石川さんが3キロ毎に給水停車を繰り返します。今走っている街道を400年以上前、数多くの戦国武将が、天下の覇者を目指して駆け上り、駆け下っています。それに比べると、試走中の4人の出で立ちは、決して武将でなく、足軽雑兵の姿ですね。

 <新戦国女街道/アーバンツーリズム走談 走り屋・道楽衆 藤田 俊英> (00/09/17)




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