コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.169

高橋尚子がアーバンツーリズムを先駆ける、ボールダー集客走談 第4幕
 ボールダーなる地名を始めて耳にしたのは、97年5月31日の午後、場所は静岡県の大井川左岸河川敷でした。幅7mのランニング専用コースの整備が着手されて一周年とかで記念のランニング大会が開催され、米国から有森さんが招待されていました。日刊建設工業新聞の論説欄に連載中の取材を兼ねて、参加しました。有森さんを身近で見ようと、新聞社の腕章を持参していました。

 開会式の式典会場の片隅にテント張りがあって、どうも有森さんの控え室みたいでした。警備員に腕章を見せたら、パスしてくれて、控え室に入ると地元の新聞社の記者が座っていました。尋ねると、有森さんは間もなくヘリコプターで到着とのことでした。この頃の有森さんは、アトランタの銅メダル獲得後の独立プロ宣言とかで、陸連のおぞましいオヤジたちに虐められている最中でした。

 有森さんが控え室に入って来ました。主催者側のお偉いさんたちが、入りたいそぶりで入り口から覗いています。式典までのわずかな時間でしたが、至近距離から有森さんの睫毛をのぞき込みながら、米国での生活の様子を尋ねたりしました。その時にボールダーに住んで、そこのクリーク沿いのトレールコースを走ると気持ちがサッパリするとか、話してくれました。老若男女が走りを楽しむコースだそうです。

 式典が始まりました。主催者側のお偉いさんの型どおりの挨拶が終わって、有森さんが、白いTシャツに青いトレパン姿で登場します。うつむき加減で、お祝いを述べた後、ボールダーのクリーク沿いのトレールコースを走るのが好きと、遠くを見る眼差しで語りました。私は、最前列で写真を撮っていました。

 99年9月3日、越後湯沢の岩原スキー場で、東京学芸大学の有吉先生が主催する走り込み合宿に参加します。この合宿でボールダーのクリーク沿いのトレールコースの話を先生から詳しく伺いました。道路とは、全て立体交差ですから、立ち止まる必要がありません。生まれたての赤ん坊を三輪車に乗せて、それを押しながらジョギングしたりと、市民生活にランニングが当たり前のエクササイズとして馴染んでいる。そんな印象を持ちました。

 <都市観光を先駆け/アーバンツーリズム走談 走り屋・道楽衆 藤田 俊英> (00/09/03)




前のページへ戻る