コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.155

大江戸天下・町人マラソン創設/家康が江戸シティセールス 第1幕
 <東京国際市民マラソン>の第1回開催に向けての準備は、東京シティセールス・プロモーション、<Yes、Tokyo!>キャンペーンの一環として進めて行きたいと考えています。先客万来な国際交流都市<東京>を実現する、首都東京に活力を取り戻す、日本のダイナモとして新たな価値や富みを生み出すエネルギッシュなキャピタル・東京の蘇生をはかる、そんな大きな目標に向けて東京シティセールス・キャンペーンが始まったばかりです。

 昨年夏、建設省都市局と運輸省観光部が一緒になって<都市観光を創る会>を発足させました。その関係資料のメンバー欄に桑名市長の名前を見つけ、「なんで、桑名が都市観光なんだ?」と疑問を持ったのが発端でした。<都市観光>とか<集客産業>とか<集客都市>と言った言葉は、5年位前から京阪神地方で多く発信されるようになっていました。ご存じ、関西新空港の開港が<都市観光>に拍車を駆けました。首都東京では、当時全く興味を示していませんが、横浜のMM21や千葉の幕張メッセ当たりは、それとなく<集客都市>を標榜していたようです。

 桑名市役所の知人に問い合わせましたら、「来年が東海道は桑名の宿場の創設と町割りの400周年に当たり、何か目新しい観光行事を始めることになっていて、市役所の担当になった」との返事でした。そう言えば、今年9月15日が関ヶ原合戦の400周年です。そこで調べました。家康は合戦に勝利した後。わずか4ヶ月足らずの期間に東海道の宿駅整備の準備を急がせ、翌年の慶長6年1月、東海道に<伝馬制>を布きます。その後も、中山道・・と五街道を整備し、ついでに一里塚も置きます。

 当時の江戸城は、今の豪華壮大さは微塵もない、田舎じみた板葺き屋根の粗末さでした。その江戸城の大普請よりも、江戸と天下各地の街道整備を先行させたのが、家康の偉い所と感心しました。昨日のNHK大河ドラマで津川・家康が大往生でした。

 7/21の<東京都産業振興ビジョン・シンポジウム〜国際マラソンは都市観光・産業振興の切り札となるか〜>に出演し、パネル・ディスカッションで<東京国際市民マラソン実現!>のコーディナーターを勤めていた時でした。ランナー家康のエアロビクス・マインドが、日光東照宮から西新宿の都庁第1庁舎大会議室の舞台上の私に囁きました。「なあ〜藤田よ、東京国際市民マラソン、そんなもん400年前に、この家康が天下万民の商い繁盛と江戸参りの切り札として御用達してますがな、確か江戸天下町人十里脚運とか言いましたな〜」

 <都市観光マラソン/トキメキ歴史商会 走り屋・道楽衆 藤田 俊英> (00/08/14)




前のページへ戻る