コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.125

サロマ湖のウルトラ100キロ、<ヒマワリ大作戦>な32人駆け(12)−終幕−
 手元に<サロマ湖100キロウルトラマラソン・10周年記念誌>があります。A4版で97年3月に発行されています。表紙を捲ると、見開き2ページに10年間分の記念テレカの写真が並び、ワッカを彷徨中のランナーの遠景写真が霞んでいます。黒々とした骨太い墨文字、<ワッカは人が神に変わる空間>の名台詞がドシっと10年の歳月を語っています。それにしても、上岡龍太郎さんは良い台詞を残します。

   86年9月14日、第1回大会が開催されています。100キロに41人(女性8人)が参加し、26人が完走しています。この年、4月に男女雇用機会均等法が施行され、チェルノブイリ原発事故が発生、社会党委員長に土井たか子さん就任した、そんな年でした。

 誰が最初に100キロサロマの開催を言い出したのか、興味津々ですね。86年の4月に宮古島の第1回トライアスロンが開催され、その南国宿舎の東急リゾートの壁に、北国のサロマ湖の原生花園の航空写真が飾ってあったそうです。緑深い森が海に向かって突き進んで行くようなイメージを感じた方が、こんな所で走ることができたらと思って、アっと言う間にヤッチャッタと言う次第でした。

 当時、バブルは姿を見せていません。まだ日本人は、ウカレ柳を呈していません。そんな、バブルの前の静けさの頃、日本初のウルトラ100キロが誕生しています。

   バブルの後遺症に日本国中がのたうち回っています。気が付けば、日本はよほど外国人から魅力のない國に成り下がったようで、外国人観光客が立ち寄りません。そういえば首都である東京にも<都市観光>だ、<集客産業>だ、<集客都市>だとかの議論がヤットコサでわき上がって来ました。いろんな対応策が講じられるでしょうが、世界中の人々が楽しめるランニングを通じたジャパンな都市観光の進展をやってみましょう。

 <ウルトラ興行主修行中、サロマ湖100キロウルトラン 走談家 藤田 俊英> (00/07/04)




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