コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.107

駿府で御隠居の家康は、霊峰富士を仰いで、ランニング・ハイ
 今年9月15日は、関ヶ原合戦の400周年に当たります。そこで、勝者の家康を戦国アスリーターの観点から分析を始めます。まずは、平成9年のランニング学会会報に投稿した<私の好きなランナー=家康>に、お目通し下さい。

 ランニング学会会報 第15号《特集:私の好きなランニング人物論》 P.7 掲載

        <私の好きなマラソン・ランナーは家康>

               シビック・トレンド・ウォッチャー 藤田 俊英

 国営放送の大河ドラマ「秀吉」が人気を得ている。原作者の戦国時代と現在を政治、経済、文化の各側面で比較対象した歴史分析の斬新さと主役のオーバーな演技がその理由かも知れない。さて、秀吉が創設した豊臣家を滅亡させた家康に目を向けると、おでこの広い痩身・スリムな俳優を起用している。なぜか、僧侶らしき者と一緒に薬草を調合しているシーンが二回放映されている。

 事実、家康は年を経て我身の養生に配慮するようになり、栄養とアスレティックと休養を心掛け、67才の時に駿府城内で大往生している。御存知のように、東照大権現として日光に祭られているが、関西地方、特に浪速の地では現在でも淀君と秀頼を騙し打ちにした狸親父として憎まれている。私も、祖母の話や紙芝居で、「憎っくき狸親父」は骨の髄まで染み込んでいる。余談であるが、関西では家康憎しが東京憎しになり、やがて巨人憎しになって、阪神は巨人戦だけには豊臣家の怨霊が乗り移って善戦している。

 60年代のビートルズブームのさなか、山岡荘八の大長編小説「徳川家康」は当時の経営者から圧倒的な人気を獲得した。徳川家康=経営者の鏡、人の一生は重荷を背負って長い道のりを歩いていく・・・と言うくだんのフレーズが喧伝された。日本の高度成長も影を落とし、バブルの後遺症も片づいていない現在、次世紀の高齢社会を憂える声は日増しに強くなっている。

 どうせ長生きするなら、美しく、健やかで、賢こく、老後を送りたいと願うのは当然であって、問題はどうすれば美しく、健やかで、賢こく、老後を送れるかである。解決方法は簡単、歴史に学ぶことである。美しく、健やかで、賢こく、老後を送った先輩を見つけて、その極意を身につければ良い。徳川家康=長生きの鏡、人の一生はシューズを履いて長い道のりを走って行く・・・と言う新しいフレーズを実行すればOK。

 スポーツジムやトレーニングセンター等のエアロビック・インフラのない昔の事、アスリーター家康は水練、乗馬、駆けっこの三種競技に若い時から親しみ、江戸幕府を開いてからは江戸城外堀一周草鞋駆けを主催して江戸町民から慕われた。駿府に隠居してからは毎年、IEYASU・駿府〜三保の松原折り返しLSD大会に参加し、ゴールする事を楽しみにして鍛練を続けたらしい。霊峰富士を仰いで、ランニング・ハイ=走昂の気分を味わい、大御所としての隠居生活にメリハリを付けたと聞く。

 <家康とは家中健康を願った名かもしれない、ランナー家康を見習おう。 走談家 藤田 俊英> (00/06/06)




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