コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.104

伝統、歴史、文化、青少年の健全育成に無関係、若いNYから集客産業
 カツシカン&ドットコムな瀧澤さんを引用して、ひとっ走り走談しましょう。

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 東京で今「人が沢山集まる所」と言えば、再開発された渋谷近辺とかお台場とか「目新しく生き生きしたところ」か、浅草の様に「観光イベントの連発」型地域とか。
 観光のポイントとしては確かに、ハード的なインフラの問題そのもの、例えば、都市景観とか文化施設とかの定常的なもののウェイトが高いですが「イベント型」すなわちそこに集まり何かをする「人的支援」も重要かと思います。

 「お祭」も伝統的イベントの一つですが、開催を重ねるうちにある特定のメンバーが固定化して新陳代謝が止まると衰退が始まります。伝統的な「祭」にも新しい企画や仕掛けが必要ですし、また別の視点から「新たな祭」を創成して行くのが肝要かと思います。

 またその「新たな祭」が単なる人集めの商業振興という役割だけでなく「あらたな地域コミュニティーの再生」となると「魅力的なまち」になって行くのでは無いでしょうか?

 そういう意味では「赤羽ばかまつり」「阿佐ヶ谷高円寺の阿波踊り」などの比較的新しい(といっても40回以上もやってますが)地域祭、や北海道から全国に広がる「ヤーレンよさこい」の様な「都会におけるまちおこし」が観光事業の一翼を担うとともに、青少年の健全育成、地域活性化につながれば宜しいのでは無いでしょうか?

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 いつになく、思い切り遠慮された発言ですね。気になるのは「単なる人集めの商業振興という役割」の箇所です。伝統だ、文化だ、歴史だ、と言う生活文化な発想の観光振興なら、瀧澤さんの論旨は満点ですね。但し、集客産業となると全く話は別でして、「単なる人集め」を徹頭徹尾追求するんです。「単なる人集め」で頭数を集められないから、伝統だ、文化だ、歴史だ、と言う生活文化なきれい事に話をすり替えるんですね。

 伝統だ、文化だ、歴史だ、と言う話が出来ない米国の19世紀、NYから集客産業が勃興してます。「単なる人集め」を追求して、「翼よ、あれがパリの灯だ!」のリンドバーグのNY凱旋に400万人が殺到しています。その内の何人かが健全育成されて、米国航空機産業を振興させたんでしょう。集客産業と伝統、歴史、文化、青少年の健全育成は何の関係も必要ありません。人を集める産業を日本では、水商売と言って、青少年が不健全に育成される場所です。殿方の皆さん、ご承知ですね。

 <水商売風俗走談家 集客都市ジョッギング愛好家 藤田 俊英> (00/05/24)




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