コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.077

オレゴン・フッドツーコースト駅伝、祭り装束法被旅心 その20
 8月30日、早朝のポートランドはウィラメット川添い、お別れのジョッギングです。薄曇りの薄明かり、橋歳百歳の鉄骨な橋たちが個性あるスタイルを主張しています。岸壁にネイビーの駆逐艦が停泊しています。やたら静かな日曜の朝です、市民の姿が目に付きません。

 ホテルに戻り、荷物をまとめます。1階のレストランで朝食、昨夜のカラオケが話題になってました。もう、ロリとクリスには会えないのです。ウォンさんが、ワゴンで迎えに来ます。デルタ航空DL051便、1320発は、成田に向かう途中の三陸沖で北朝鮮のロケットと遭遇していたはずです。31日の月曜日、午後3時過ぎに帰国します。1人あたり30万円の300キロの駅伝ツァーでした。

 成田から代々木の岸体育館に直行です。ランニング学会の来年3月の大会実行委員に委嘱されまして、第1回の委員会が6時から始まります。ランナーならよくご存じの群馬大の山西先生、東海大の宇佐美先生・・らと混じり、私は大会当日のファンランと討論会の司会を担当させられました。委員会が終わって、原宿のトンカツ屋で一杯盛り上がります。私の前の席は、五輪マラソン3回連続出場の宇佐美先生でシッカリお酌しましたよ。

 しばらくして、ロリから郵便です。英語のレターと8月31日付けの新聞、Daily Astorianのコピーが同封されていました。思い出しました、ゴールして記念写真に収まって柵から出てきた時、地元の新聞記者にインタビューされたんです。「お前たちの、その変な装束は何やねん。何で日本人と一緒やねん、その鈴も気になるな〜」てな質問に思い切りロリがミシガン弁でまくし立てていました。

 その記事の英文は、次回。なお、ロリとは11月のNYシティマラソンで、私だけが再会しまして、マンハッタンを舞台に・・でした。

 <オレゴン駅伝は帰りにテポドンと遭遇 走り屋・道楽衆 走談家 藤田 俊英> (00/04/14)




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