コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.026

埼玉マラソン、盲人ランナーを伴走者が駅伝走り
 6日の埼玉マラソンでの光景です。10キロ位で伴走者と走る盲人ランナーを追い抜きました。当然なんですが、伴走者は盲人ランナーより走力が数段も勝っていなくてはなりません。と言うことは、3時間を切るような盲人ランナーの伴走者は、そう簡単に見つからない。今の私では、絶対無理です。

 この伴走の人は、早いのかと一瞬、頭によぎりました。20キロ過ぎた地点の道端で、伴走者らしき兄さんが腿上げをしていました。「そうか、この人と伴走を交代するんだ」と、なぜか安心しました。35キロ過ぎて、あっぷあっぷの状態でゴールを目指していました。道端の応援の方々の声援が、後ろから段々大きく近づいてきます。件のペアに抜かされたのか、はっきり覚えていません。なんせ、目一杯の状態でしたから。

 96年3月29日、日本海・鳥取マラソンに参加するため、品川のバスセンターから深夜高速バスで鳥取に向かいました。明かにランナーと分かる盲人と伴走の男ペアが同乗していました。30日朝、鳥取駅に着きます、ホテルのチェックインまで時間を持て余します。砂丘観光から帰って、午後3時頃に駅前のホテルに入ります。早速、市内をジョギングです。明日の会場の方まで、足を伸ばしました。途中、ペアがジョギングしているのに、出会いました。 コンビニで酒と2食分を買い込んでいると、ペアが入って来ました。同じホテル泊まりです。

 31日の朝11時、スタートでした。峠を二つ越えるきついコースに、がたがたになってゴールしました。 駅前に4時頃、戻りました。調べていた銭湯に行って 、あったまっていると、ペアが入って来ました。この時、マラソンの伴走は同性に限られるなあと気がつきました。湯から出て、駅前で一杯やって夜行バスで東京に戻ります。東京に着いて、尋ねました。同じランニング同好会に所属しているペアでした。60才ぐらいの白い杖の人をかばう、人のよさそうな50代の照れくさそうな顔を覚えています。

 <いつかは伴走を・走り屋・道楽衆 走談家 藤田 俊英> (00/02/12)




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