コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.023

山田敬蔵さんと一騎打ち、シドニーの仇をゴールドコーストで討つ
 今年9月15日からシドニー五輪が始まります。お楽しみは、女子マラソンでしょうか。一橋さん、おそらく山口さん、残り一人は高橋さんか弘山さんでしょう。このシドニーで94年8月から、早々とシドニー・シティマラソンが始まっています。ANAが仕掛けた都市観光イベントです。豪州では、すでに7月のゴールドコーストマラソンが日本人に人気で、JALが仕切っていました。

 ダーリンハーバーの前のANAホテルに宿泊し、郊外の観光巡りを楽しんで28日が大会当日でした。7時に出走、有名なハーバーブリッジを渡り、オペラハウスの脇をかすめる都市観光型マラソンコースでした。気温がどんどん上昇します。小柄で童顔の高齢者が私と併走していました。走るフォーム、ファッション、体型とただ者じゃないんです。25キロから、ぶっちぎられました。

 53年のボストンマラソンに優勝した山田敬蔵さんでした。その後、95年のメルボルンは35キロまで、96年の泉州国際マラソンは30キロまでと併走しましたが、結局は振り切られました。96年の3月16日、ランニング学会大会でトークショーにゲスト出演した山田さんと懇親会で大いに語り合いました。酩酊した二人が磯子駅から根岸線に乗って横浜駅で別れました。別れ間際に、「4月の100回ボストン記念大会で、再度の併走を誓い合いました」

 そのボストンは4月15日、3万8千人がホプキントンの丘に大集合。鼻と喉の調子が悪く、だらだら走ったあげく、心臓破りの丘を登り切った地点で歩いてしまいました。山田さんの姿は、全く見かけませでした。完走パーティで壇上に上がる山田さんの姿勢は垂直軸が決まっていました。

 98年の7月12日、ゴールドコーストマラソンをだらだら走ってました。一週間前にパースマラソンに続き、都市観光を完璧に楽しむハトバスツァー走りです。20キロ越えて前を行く山田さんに追いつきました。疲れた走りでした。泉州でのストライドはありませんでした。でも、筋肉はまだまだ柔らかく、締まってました。

 歳を取ると、体の各部所に衰えが来ます。山田さんを見て、筋肉と骨格は、栄養とエクササイズで若さを保てることが分かります。チャレンジ・プロジェクトは、栄養とエクササイズがこれからの実現への鍵ですね。

  <高齢社会・アニマルライフ推進・筋肉エクササイズ走談家 藤田 俊英> (00/02/08)




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