コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.011

明治神宮の森は人工造林、その伝統を繋ぐ人工浮島造林で行政ビジネス起業
 今年の6月で東京生活まる十年になります。単身赴任で当初は、酒浸りの夜更かしが続き、体型が醜く膨れてきました。中性脂肪が体に付くと、頭の働きまで鈍くなります。秋になって、取りあえず早起きを励行しました。起きても散歩ぐらいしかやることがありません。初台交差点に出ると、早朝ランナーがいました。「代々木公園まで10分ぐらいで走れます」と言ってました。そんなわけで、代々木公園からNHK放送会館周囲をゆっくり走り始めました。カラスが停まって来るぐらいの早さです。

 早朝の代々木公園は、一見して知的な外国人ランナーと体育会系丸出しの日本人ランナーとゆっくりジョッギングする人がカラスに見守られて、各自のエクササイズをこなしています。隣接する明治神宮には、汗を飛ばす走り人は参拝できません。鬱蒼とした森には、野鳥が多く生息しているのでしょう、鳴き声は聞こえますが、公園を走る人には姿を見せません。

 昨年暮れの26日、京都で全国高校駅伝大会が開催された夜11時から、テレビ朝日の「宇宙船地球号」が「明治神宮の森80年・・奇跡の森は造られた」を放映しました。70haの敷地は、大鷹に梟などの珍種も混ざる野鳥天国、地中は土竜にミミズの天国との事。しかし、80年前は武蔵野の緩い起伏に畑がぽつぽつあった程度の荒れ地で、木々の姿は目立たない貧相な土地の姿でした。時の政府の号令で大神社を造営するとなり、全国から奉納樹が集められました。

 神社の造林は、東大林学科の先生が150年先まで見据えたプランに沿って進みました。最初の50年は、奉納樹が主役です。この奉納樹が枯れて朽ち果てると、植林された常緑樹が育ち、主役の座を占めます。現在はこの常緑樹が多くの実を付け、野鳥たちにセールスサービスして、集鳥森林の機能を果たしています。この御利益もあるのでしょう、明治神宮は年間300万人?を集客する都市観光の舞台装置となっています。最近では、周辺に渋谷ビットバレーと言う常緑樹も育ってきました。

 一昔前の橋本総理の時代、第5次全国総合整備計画が策定中でした。総理と策定担当者との間で、明治神宮の森が話題になりました。総理は、「人工の森」であることをご存じで、今後は、こういう緑の整備が大事なんだと担当者に語られた・・。

 21世紀の東京で「平成の森」を造林しましょう。武蔵野の大地でなく、武蔵野の水面にです。江戸時代から親しまれ続けている外濠の名残、市ヶ谷と弁慶の濠に「人工の浮島の森」を整備して、江戸にゆかりの水鳥、ガン、カイツブリ、コアジサシ、ダイサギ、カルガモたちを甦らし、「水と緑と野鳥」都市のシティセールスで東京に世界中から人だかりを飛来させましょう。そして、この実績で「水と緑と野鳥」を失った国内外の諸都市に「銀杏のマーク」の付いた行政ビジネスを販売する起業をビットバレーしましょう。

 <東京の水鳥が行政ビジネスになる起業家走談家 藤田 俊英> (00/02/03)




前のページへ戻る