コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.006

唱歌「春の小川」記念碑、渋谷ビットバレーの地に佇む
 東京渋谷の初台で単身赴任が10年目になります。この間、いろいろな都会の誘惑に乗らなかったのは、やはりランニング生活を送ったからでしょう。初台の周囲には、川の面影を偲びながらランニングを楽しめるコースが多く整備されています。

 玉川上水跡の緑道が、京王線の初台駅から幡ヶ谷、笹塚を経て台田駅まで繋がっています。笹塚付近では、昔の上水路そのままの景観が現れます。代々木公園の周辺には、渋谷川の支流が姿を見せていました。昭和30年台の後半に蓋をされ道路に姿を変えています。渋谷川の本流は、渋谷駅東側の明治通りに沿って流れています。JR線路に沿って宮下公園を経て、明治通りを斜めに横断し、キャットストリートの路面下を流れています。

 支流の宇田川は、東急インの裏から線路をくぐってNNK放送センターの西側に上って行きます。センター前の道路の一本裏に緑道公園が整備されています。さらに上ると、井の頭街道を横切って、小田急線路の東側に至ります。小川の水面には、愛らしい河骨の花が咲き誇っていたのでしょう、川の名前は河骨川となります。オリンピック記念青少年総合センターの手前で、唱歌「春の小川」の記念碑が線路脇に佇んでいます。近所の建築工務店の方のボランティアな作品です。

 唱歌の歌詞にあるのどかさは、今の周辺の景観からは想像も付きません。小田急の線路をくぐり、代々木4丁目を縦断します。河骨川の源には、ドラクエのエスニックやアスキーが本社を構えています。今は蓋をされて人目に触れない渋谷川、宇田川、河骨川流域にビットバレーな産業が花開いています。古今東西、川の流れは流域の人々の生活に恩恵を与え続けています。蓋をしても、川の流れの御利益が流域の産業振興に繋がるチャレンジプロジェクティブなインフラ整備が必要です。

 <都市河川と産業振興・マラソン走談家 藤田 俊英>




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