コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.004

首都東京で、最後の都心開催市民参加可能マラソン参戦記
 10日の東京ミレニアム・ハーフマラソンのスケッチです。
 10時に車椅子の部がスタート。車椅子と言っても、3輪タイプ特別仕様ハイテクマシンです。平地と下りでは、その早いこと、但し、登りになると急激にスピードが鈍ります。この車椅子選手の悩みは、練習場所です。都心では、なかなか、安心して飛ばせる場所が見つかりません。健常者以上に障害者の方々のスポーツ環境の整備が、今後は大事な政策になると思います。
 ゴール前1キロぐらいから、伴奏者付きランナーと競り合いました。目の不自由なランナーです。伴奏者は余力が余ってましたが、ランナーは一杯一杯で、結局振り切ってゴールしました。勝負の世界は、健常者も障害者も二の次です。一応、ゴールしてから、健闘を讃えました。

 97年のゴールデンウィークはカナダのバンクーバーマラソンに出ました。空港で、沖縄からきた車椅子ランナー十名ほどと出会いました。聞いてみると、この大会に出るのを一年間の楽しみにしているとのことでした。レース当日、一人の方がヘルメットを忘れて、出場出きなくなりました。その人は、気を取り直して、コース途中の応援に回りました。30キロぐらいでした。雨が降り続く寒い天気にもかかわらず、その人は、我々日本人ランナーにバナナとカステラを手渡していました。私も受け取りました。感想パーティで、その人は、ヘルメットを忘れたことに対しスポーツマンとして恥じ、ランナーの応援手助けできたことを誇ってました。

98年のニューヨークシティマラソンでは、電動車椅子で参加している方々を多く見かけました。彼らをニューヨーカーは声援するんですね。彼らが車椅子を転がしてる横で一般ランナーが歩いてるもんなら、ブーイングが来ます。本当にやってるかどうか分かりませんでしたが、点滴の瓶がぶら下がっていた方も見かけました。この大会では、義足ランナーや片足ランナー、伴奏者付きランナー、盲人ランナーは珍しくもありません。

 本日朝のNHKニュースで、臨海副都心東京ハーフマラソンは、今年が最後になったそうです。これで日本の首都東京の魅力ある伝統と文化と歴史を実感できる都心型市民参加可能マラソンは、東京からなくなりました。これで、世界の一流国家の首都から、またまた水を開けられましたね。

 <トレンディ探偵団 走り屋・道楽衆 藤田 俊英>




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