コラム道楽衆:「走談家・藤田の胸算用」 No.003

北京国際市民マラソン、人民解放軍が産業振興にチャレンジ
 アジアの大国の首都の走談をします。

 98年の10月10日、第1回北京国際市民マラソンが人民広場から出走しました。北京市内をぐるっと周回する市内観光型マラソンコースです。5キロ、10キロ、ハーフ、フルと4種目同時スタートです。大半は5キロの部に参加する小中学生らしき子供たちです。フルのランナーは先頭で走り始めましたが、天安門の前の大通りで、後からくる子供たちに抜かれます。5キロ、10キロ、21キロと走り過ぎるたびに、ランナーの数が減っていきます。30キロを過ぎると、私の前後の5百メートルはランナーがいない一人旅です。こんな状況ですが、沿道観客は鈴なりの大入り満員です。10メートル置きに人民解放軍戦士が観客に睨みを利かしますが、戦士の目線はランナーを向いています。観客も日本人の鈍足ランナーが目の前を走っていることは、百も承知です。昔の嫌な思いでも蘇るでしょうが、北京の産業振興になるとわかっているから話は別。懸命に声援を送ります。三百名少しのフルのランナーのメンバー表が配られているのでしょう、私のナンバーを見て藤田の名前を確認し、「フジタアー、フジタアーアーー、加油、加油」と叫ぶ老人もいました。

 97年までは、単なる北京国際マラソンで、東京国際男女別マラソンと同じ「トップアスリート」だけが参加できる陸連型の大会でした。この開催方式では、改革解放経済の御代の産業振興に全くお役に立たないと北京市は考えました。中国4千年の歴史は産業活性化が大原則、隣の国の首都東京のマラソン大会も全く産業振興に貢献していない、仕方ないから、アメリカのニューヨークシティマラソンを北京市行政マンと人民解放軍戦士が勉強し、大会前後にかけ現地ニューヨークに出かけ、我が目で産業振興に貢献する舞台裏を見て納得して帰国、98年からアジアでのニューヨークシティを目指した大会に変身させた。当面の客層は日本人狙いです。10月10日の体育の日に開催なんて、完全に日本人ランナーへのサービス精神を発揮しています。

 北京、上海、大連が国際市民マラソンを開催しています。いずれも当面の客層は日本人ランナーです。日本の首都東京に市内観光巡り鈍足市民ランナー参加可能型マラソン大会のないのが、大国中国に幸いしている訳です。やはり、400年前に家康が江戸に武家政権を打ち立てて以来、江戸東京の人々は、「人と金と情報」は黙っていてもやってくると春風駘蕩、万物不変、政権安泰、花の東京だったんですね。でも、IT革命とかで「人と金と情報」は各都市市民に平等の訪問機会を与える時代になったことを、このチャレンジ・プロジェクトで学ばせてもらいました。次回は、人民解放軍と警視庁の人民・都民サービスを走談しましょう、産業振興政策の観点から。

 <大阪生まれ、名古屋育ち、三重県民 トレンディ探偵団 走り屋・道楽衆 藤田 俊英>




前のページへ戻る